就活で全滅した学生が「ラノベ作家」になるまでの迷走

高木敦史の迷走物語(1)
高木 敦史 プロフィール

これもまた週刊少年ジャンプの話ですが、私の子供時代は読者アンケートに応募すると抽選でプレゼントが当たり、その当選者の都道府県別の氏名リストが毎週載っていたのです。

人口比率から考えて、福島県民の当選者数はせいぜい一人、よくて三人程度でした。一人もいないこともあります。福島県の文字がないときは「きっと嫌なことがある」と一週間落ち込んでいました。

 

いっぽう東北地方の最大都市・仙台市を要する宮城県は多いと五人くらいの当選者がいました。ですので、宮城県よりも福島県の方が多かったら今週は絶好調……とまあ、そういうシステムです。絶好調のときは数ヶ月に一回あるかないかでした。

具体的に絶好調な出来事が起きたかどうかは覚えていませんが、それを数年……考案したのは『てんで性悪キューピッド』の載っていた頃だから小六くらいで、そこから親にジャンプを禁止される中二くらいまでかかさずチェックしていました。

他にも、週刊漫画誌には背表紙と裏表紙の境目に編集人――いわゆる編集長の名前が記載されておりましたので、そのリストを個人的に作成しており、大規模な新連載攻勢が始まったり、特定のジャンルの漫画が急に増えたりするのはだいたい編集長の変更とリンクしているという事実にも、たぶんクラスで最初に気づきました。

ヤングサンデーで好きな漫画が編集長交代とともに続々と終わっていったときは自分の無力さに打ち震えたものです。

そういうわけで、漫画っ子であった私は自然に「漫画に関わる仕事」に就くことを想像しました。と言ってもべつに物語を考えたこともないし、絵もたいして上手くありません。が、大学では文学部でしたし、周囲に出版関係に就職を希望する人間も多く、私は「そうだ、漫画編集者になろう」と考えました。

それで就活では大手出版社の漫画編集部を主に回っていたのですが、いかんせんただの漫画好きでしかない上に大学生活はほぼお酒を飲んで浪費しただけの身ですし、あと留年もしていましたから、結果は全滅です。

高い壁だった…(@講談社の漫画編集部のあるエレベーターホール)

私はこのとき、仕事というのは希望すればなれるものではないのだな、と初めて気づいたように思います。当時はいわゆる就職氷河期でしたが、温帯気候だったとしても結果は同じようなものだったでしょう。たぶん真剣ではなかったのです。なんせ編集プロダクションの存在も知らなかったくらいですから。