上野に出現した「リアル三国志」の最たる見所は、まきびしです

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箱崎 みどり プロフィール

1800年の時を経てもなお

私が一番感動し、目にした瞬間、鳥肌が立ったのは、定軍山の<撒菱(まきびし)!敵の行軍を妨げるために、川の底からも見つかるそうです。

小説『三国志演義』にも登場する、曹操と劉備の定軍山の戦いは、西暦219年のこと。ちょうど1800年の時を経てもなお、この撒菱は、上を向いています。踏んだら痛そうな撒菱が目の前にちょこんと並んでいると、定軍山の戦いが本当にあったことなんだという感慨が湧いてきます。

撒菱(まきびし) 青銅製 後漢~三国時代・3世紀 1985年、陝西省漢中市勉県定軍山出土 勉県博物館蔵

定軍山の戦いは、劉備配下の老将・黄忠(こうちゅう)の活躍と、旗揚げから曹操に仕えていた夏侯淵(かこうえん)の敗死が印象的な戦いですが、名のある武将たちの戦いとは別に、撒菱を川に撒いた無名の兵士もいたのでしょう。

小さな撒菱が、「三国志」のお話をリアルなものにし、今と三国志の時代を繋いでくれます。

三国それぞれの貨幣

もう一つ、私が強く「リアル三国志」を感じたのが、銅貨。魏・蜀・呉、三国それぞれで使われたコインです。

魏は、新たな貨幣は発行せず、後漢の<五銖銭(ごしゅせん)をそのまま使っていたとのことで、曹操の合理主義が魏の実際の統治にも反映されていたのだと感じます。

蜀は、財政問題を解決するため、五銖銭百枚分の価値を持つ貨幣<直百五銖銭(ちょくひゃくごしゅせん)>を発行、呉も、千枚分の高額貨幣<大泉当千銭(だいせんとうせんせん)>を発行しました。

当時は、コインの使用は限定的で、布などの品物が貨幣の役割を果たしていたようですが、小さなコインが、当時作られ、使われていて、その後、1800年の年月を越え、上野にやってきたのです。

当時つかわれた様々な貨幣も展示

蜀のコインは、劉備や孔明が指示を出したもの、裁可したものでしょうし、このお金を手に取り、そのやりとりの中で暮らしていたのでしょう。周りに展示された人型の人形「俑(よう)」の楽しげな様子と相俟って、蜀の都に生きる人々の賑やかな様子が目の前に広がるようです。

三国志は、中国大陸が、魏・蜀・呉、三つの国に分かれた時代のお話。お国柄も違います。国によって、「俑」や副葬品が、がらっと変わる様子は、中国大陸の広さ、スケールの大きさも感じさせます。

家にいる時から展覧会は始まっている

今回の展覧会で、私が嬉しかったのが、事前に書店で図録を買えること。さらに、映像作品を除く、会場内すべての作品の写真撮影ができること(※) 今までの展覧会の常識を覆す、画期的な取り組みです。

私は、図録を事前に買い、予習してから行きました。展示物や解説を頭に入れておいて、展示品と向き合おうという計画でした。

もちろん、図録だけでは、大きさや質感、上下左右から見た様子などは味わえません。図録で平面的な世界に浸っておくことで、実際に展示物と対峙できる、展覧会の空間ならではの感動が増すのです(事前に買うことで、展覧会を見て疲れた帰り道、荷物が軽くて済むのも助かりました)。

(※)フラッシュ撮影や三脚、自撮り棒など撮影機材を用いての撮影はご遠慮ください。