敗戦直後、日本人自ら戦争を検証した、知られざるプロジェクトとは?

『戦争調査会』を特別公開!
井上 寿一 プロフィール

議論の展開を再現する前に、彼らが戦争調査会に何を託したのか、渡辺と松村の意見を引用する。

渡辺の期待は大きかった。「此の調査会に於きまして凡ゆる方面から検討を加えられて、極く完全な開戦の原因或(あるい)は敗戦の原因等を精神の方面或は物の方面から将来に残すような立派な資料を作り上げて戴(いただ)きたい」。渡辺は戦争原因を追究する包括的な資料の作成を求めた。

松村はより直接的な表現で、どこにおもねることもなく、調査すべきである旨、強調して述べている。「一切のことに遠慮せず、真直ぐに、極めて純粋に調査を御願い致したい」。松村は占領当局への気兼ねや国内社会への政治的な考慮を排して、客観的な調査を求めた。

幣原の強い意志

総会の議論を主導したのは幣原である。幣原は冒頭、3つの基本方針を打ち出す。

第一に戦争調査会は「永続的性質」を帯びている。

第二に戦争犯罪者の調査は「別に司法機関とか或は行政機関」が担当すべきである。

第三に歴史の教訓を後世に遺し、戦後日本は「平和的なる、幸福なる文化の高い新日本の建設」に邁進(まいしん)すべきである。

第一は幣原の決意にもかかわらず、すでにみたように、首相の幣原が戦争調査会の総裁を兼務するという中途半端な結果になった。

第二は戦争犯罪者の責任追及を回避しようとしたのではなかった。次田内閣書記官長の日記によると、当時の政府には戦争犯罪者を処罰する立法措置(「戦争責任裁判法」)の検討が「宿題」になっていた。

次田は前年11月5日に芦田厚相からの注意もあり、岩田宙造(いわたちゅうぞう)司法相と「戦争責任裁判法」に関する協議をおこなっている。その際に岩田は言った。「前内閣時代戦争犯罪人を我国に於て裁判することに付、お上の御許しを得たるも、内閣更迭により其儘(そのまま)になりたり」。次田は記す。「此話は総理の耳に入れて置かねばならぬ」。次田は11月7日の日記にも「宿題 戦争責任裁判法の制定」とメモ書きしている。

政府がこのような立法措置を考えなければならないほど、国民世論は戦争責任の追及に急だった。なかでも軍人が非難された。9月11日に逮捕状が出ると東条英機は自殺を試みたものの、未遂に終わった。戦時中、東条と親しかった言論人の徳富蘇峰は冷笑した。「東条も今一発射つ位の、余裕はあってしかるべきである」。軍人が処罰されるのは当然のような敗戦国日本の社会状況だった。

以上の文脈を踏まえて、幣原は戦争犯罪者の責任追及とは異なる役割を与えて、戦争調査会とは「政治、軍事、経済思想、文化等、凡ゆる部門に亘りまして徹底的の調査を行わんとするものであります」と説明している。

この挨拶文の下書きは青木が作成した。「平和的なる、幸福なる文化の高い新日本の建設」の一節に対応する下書きの一節はつぎのとおりである。「自暴自棄に陥ってもいけませぬ、此の難局に遭遇して毅然たる態度を以て泰然自若として……」。原文の形をとどめないほど全面的に書き直されていることがわかる。平和国家としての日本の再建は、幣原の強い意志が打ち出した基本方針だった。

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