事実婚や別居婚など結婚と一言でいっても様々な形がある。ただ、滝田苑子さん(仮名・54歳)は、夫とはうまくいかず、浮気をされ、時に「死ね」と呟かれても、どうしても子供がいる上で「籍の入っている結婚」にこだわっていた。それはなぜだったのか。そこからどのように脱却したのか。そして、そのあと気づいたこととは。結婚や離婚の様々な形を取材し続けてきた上條まゆみさんがリポートする。

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母子家庭に育って

「あの人と結婚して離婚していなければ、家のこともほどほど、仕事もほどほどの半端な人生だったんじゃないかな。私にとっては結婚も大成功、離婚も大成功! 渦中にいたときはいろいろあったけど、いまは素直にそう思えます」

そう言って、艶やかに笑う滝田苑子さん(仮名・54歳)は、フラワーアレンジメント教室を主宰し、自身もフローリストとして活躍するキャリアウーマン。その年齢には見えないほど若々しく美しい女性である。

――いかにも華やかに人生を謳歌している苑子さんだが、ここまでの道のりは壮絶だった。

苑子さんが結婚したのは、25歳のとき。1歳年上の元夫とは、お見合いに近い形で知り合い、すぐに結婚を決めた。
「母に25歳までに結婚しろと言われており、何度かお見合いをしたのですが、その相手というのが10歳年上や11歳年上のお医者さん。それと比べて元夫は、年も近いしすごく普通で、それがいいな、と思ったんです」

実は苑子さんは、母子家庭育ち。母親は、苑子さんが0歳の頃に離婚していた。母親の実家が商売をしていて、それなりに裕福だったので生活に不自由はなかったが、当時はまだ離婚家庭は少なく、苑子さんは肩身の狭い思いをして育った。

それだけに、普通の家庭に憧れる気持ちは人一倍強かった。そんな苑子さんにとって「50坪くらいの2階建ての家に住んでいて、お父さん、お母さん、妹の4人家族で、大学を出て普通の会社に勤めている」、絵に描いたように普通の元夫は「結婚相手として合格」だった。

仕事は順調、夫婦関係は右肩下がり

結婚して、しばらくは専業主婦をしていた。「ずっと家にいる生活は体に合わなくて」花の仕事を始めたのは、27歳のとき。「女性も手に職を」と母の勧めで習い続けていたのが、役立った。頼まれてブーケを作ったり、講師として教えたりした。
「バブルの余波がまだ残っていたころで、運もよかったんでしょうね。月に2回講師をするだけでOL時代のお給料が稼げるくらいになりました」。

30歳で一人息子を出産後は、よりいっそう仕事に邁進。専門学校でクラスを持ったり、ホテルや大きな会場の装花なども担当するようになった。

成功の一方で、元夫との関係は、あまりよいとは言えなかった。
「元夫はとても真面目で、メガネはここ、財布はこことか、タオルは一週間のローテーションを決めて満遍なく使うとか、きっちり決めて生活するタイプ。自分のエリアを大事にし、そこに他人に踏み込まれることを嫌う気難しいところもありました。ほとんどお付き合いもせずに結婚してしまったので、結婚当初から互いに「こういう人だったのか!」と驚くことが多く、よくぶつかり合っていました。

悪い人ではないのですが、夫婦で同じ時間に帰宅したとして、私は急いでお米を研ぐんだけど、元夫は新聞を読んでいて『お風呂入れておいて』って頼んだら自分がお風呂を入れるのではなく『いいよ、ゆっくりお風呂入れてくれれば』って言うのが優しさだと思っている。喧嘩をして真夜中に家を飛び出しても、探しにも来てくれず、淡々としている。そんなところが私には冷たい、と映った。宇宙人と暮らしているみたいに心が通じ合わないと日々、感じていました」