この社会はガチすぎる…「レンタルなんもしない人」が求められる理由

【対談】レンタルなんもしない人×東畑開人
現代ビジネス編集部 プロフィール

エンタメVSガチ

レンタル:東畑さんの本には「ケア」と「セラピー」が対比されて出てきます。でも、ぼくの中では、「エンタメ」と「ガチ」に分かれていて、ケアもセラピーも「ガチ」なんです。「ガチ」の成分が強すぎると、人は引いてしまう。

東畑:レンタルさんの方から話を振ってくれるとは!僕より社会性があるのかもしれない……。

さて、「エンタメ」と「ガチ」か……。確かに、社会はガチすぎるのかもしれない。

ぼくは本の中で「アジール」という表現を使っています。「隠れ家」を意味する言葉です。例えば、昔は離婚したくても許されなかったので、駆け込み寺に逃げ込みました。そこに入ると世俗のルールがいったん棚上げされて、守られるんです。そういう場所をアジールと呼びます。

アジールは、社会の境界に生まれます。歌舞伎の発祥は河原だと言われているように、文化が発生するのは、まさにアジール的な場所です。東京でも霞が関は「ガチ」ですが、渋谷まで来るとアジール感が出てくる。おっしゃる通りで、エンタメが生まれるためには、ガチから外れて、守られた場所を作らないといけないんだろうな。

レンタル:エンタメが成り立つためには、様々な条件が必要だと感じています。

例えば最近だと、解離性同一性障害、いわゆる多重人格の方からの依頼についてTwitterで書いたら、「ネタにするんじゃない!」と匿名掲示板などでめちゃくちゃ叩かれました。

でも依頼者の方も納得の上だし、ぼくも「すごい人の話が聞けた」と思っている。それで完結しているなと思うんです。

東畑:「ネタ」と「ベタ」という言い方をしたりしますね。でも、実はセンシティブな問題ではその辺が難しい。僕の無職の話も本を書いてネタにしたことで救われた部分があります。でもネタというのは、だれかそれをネタとして受け止めてくれる人がいないと成立しない。

例えばいま、解離性障害のYouTuberの方がいます。そこでいろいろな人格を登場させて、エンタメ化しているんですね。ぼくはそのYouTubeを見ていて、この人は配信をすることで助かっているだろうなと思いました。

エンタメ化して、人が楽しんでくれるようなものへと、自分の苦しさを変形している。観客が「いいね!」したり、面白がってくれると、本人はかなり助かるんだと思います。

でも、この状況に誰かが「不謹慎ではないか」と声を上げて、どこまでがOKでどこまでがNGなのかラインを決めてしまうと、全部台無しになってしまう。

ただ一方で「ネタ」にすることで傷つく人もいるわけです。ネタの難しいところは、ある種の暴力性があるところだと思います。同時にネタによって昇華されて、自分のことを笑える良さもある。完全に暴力性を省いてしまったネタは、ネタとして面白くない。だから、これは非常に難しい問題です。ネタをしているレンタルさんが大変なのもそのあたりなのかもしれない。

レンタル:はい。笑いにしてはいけないことって本当にあるのか? という問いは、常に自分の中にあります。世間的には間違いなくあるのでしょう。でも、疑っています。ここでは全然言えないような、深刻な事態であっても、少なくともぼくの中では面白いと思っていますね。