この社会はガチすぎる…「レンタルなんもしない人」が求められる理由

【対談】レンタルなんもしない人×東畑開人
現代ビジネス編集部 プロフィール

レンタル:ぼくもその精神状態の期間が長かったです。悪いことをしていないのに、街を歩いているだけで、怒られている気分になっていました。

ひとつのきっかけとして、人に奢られて生きる「プロ奢ラレヤー」という人を見て開き直れたことがあります。面白いなと思い、マネしたくなった。ロールモデルがあったのはよかったです。

今は「レンタルなんもしない人」という名前によって開き直れている。依頼者の方からクレームを受けたとしても「なんもしないって言ってるでしょ」とケンカ腰で向かっていける。だから、なにを言われても大丈夫。

東畑:戦っているんですね。

レンタル:「なにか言われるんじゃないか」と常に思っています。なにも言われていないですが。

東畑:なにも言われていなくても、自分の中で何か言われているから、自滅しちゃう。

レンタル:そうなんです。素の自分だとたぶん自滅してしまう。

 

「なんもしない」と遊びの感覚

東畑:会社で「なんもしない」と怒られる。でも「なんもしない人」としてサービスを始めると、いろんな人が「なんもしない」ことを求めていた。この逆説が面白いと思います。どういうことなのでしょう、どんな場所で、なんもしないことが求められていると思いますか?

レンタル:ビジネスよりも日常の中で依頼されることの方が多いですね。「なんもしない」価値が求められているのは、めちゃくちゃ地味なところ。

例えば、「自分の頭の中を整理したいから、ただ聞いてほしい」といった依頼は多いです。一方的に喋っているのを、ぼくはただ聞いているだけ。それでも、人形だと駄目なようで、話を理解している可能性がある相手が必要だと言います。

東畑:面白いですよね。カウンセリングって「話を聞いてくれる」というイメージがあると思いますが、実際には相手の話を聞いた上で心理学的な解釈をしたり、心理学的なアドバイスをしたり様々なことを行っています。

でも良くなった相手からは、「聞いてもらえたことが助かりました!」と言われることがあります。散々いろいろなことをやっていても、向こうからすると「居てくれた」「聞いてくれた」感じに感謝されるんですね。いつも不思議だなと思います。

実際のところは、「ただ、居る、こと」に意味があるんじゃないかと思ったりします。とはいえ、「ただ、居る、こと」を続けるために専門性が必要なはずだ、と専門家的には叫びたくもあるのだけど。

レンタル:あと、「自分のために人が来てくれるのはいいですね」とたまに言われます。レンタルの約束をして、約束を守って人が来てくれる。その現象自体に喜びを見出している。「居る」の前段階の、「来る」にも意味があるのかもしれません。

それから、離婚届けの提出に付き合うとか、痔の手術に同行するとか。それは「心細いから」だと言います。