Photo by iStock

フェミニストは「賢い都会の女性」という風潮への違和感

フェミニズムが「枠」に縛られないために

「勉強できるからフェミニスト」ではなく

私は有名人ではないので、単刀直入に自己紹介から始めます。

私はいわゆる「ロスジェネ」世代で、大学院(哲学専攻)を出たものの正規職員の仕事に就くことができず、ほぼほぼ女性の非正規労働者として今まで過ごして参りました。労働賃金で生活を賄えない分は、時には生活保護を利用しながらも、働きながら生きてきました。

そのような立場から、女性の労働問題や貧困問題について語り、時には任意団体のネットワークや、NGOなどの運動団体に関わりながら行動してきました。そしてそのような自分の思いや活動をまとめた『ぼそぼそ声のフェミニズム』(作品社)という本を今年5月に出版しました。

「フェミニスト」とは特段資格が必要なものでもないので、「私はフェミニストである」と自分が名乗ればフェミニストです。というわけで、私は自分のことをぬけぬけとフェミニストと名乗っています。自分のことをフェミニストだと思っているし、自称している、そんな人間です。

私がなぜ自分をフェミニストだと思っているかというと、割と小さな頃から「女だからこうすべき」とか「女はバカにしていい」とか、「女は可愛くないといけない」といった考え方や言説に対して「なぜ? 違うんじゃない?」と疑問に思っていたから、という、ただそれだけの理由です。

ですから、フェミニズムを大学で勉強したからとか、ジェンダーの専門家だからとかいう理由ではまるでありません。

 

ちなみに初めてフェミニズム、さらにジェンダーという言葉を知ったのは、かつて不登校だった高校生時代に、神奈川県・江ノ島にあった女性センターで、当時お茶の水女子大にいた江原由美子さんの「フェミニズム講座」を、主婦に混じって聞きに行ったというのがきっかけでした。

フェミニズムとの出会いが不登校の時期だった私の場合、例えば自分が勉強ができたり、仕事ができるからという根拠で、「女をバカにしてもいい」という言説に対して「違う!」と言ってきたわけではありません。

「たとえ自分が〈鈍臭くてバカ〉であっても、それは〈女だからバカだ〉というのとは全然違う。私はそもそも見た感じがいわゆる女らしくもなく、〈ブサイク〉だ。だけど人間は〈バカ〉で〈ブサイク〉であろうと、誰でも最低限の尊重が必要だ」

という意味あいにおける「フェミニスト」なのです。