このように日本では「子供が社会に迷惑をかけないよう誰かが管理すべき」という前提の下で常に外側を意識しながら子育てしなければいけないのに対し、海外では多くの地域で「子供は社会で見守るべき」という前提の下で外側からの圧力に気を取られず、「子供をどう育てるか」という文字通りの「子育て」に集中できる。

この「空気」は、子育てのしやすさにおいて非常に大きな要素になっていると、私たち夫婦は感じている。

では、日本で子育てに携わる人を社会に迷惑をかけないようにと怯えさせてしまう背景には何があるのだろうか。この核心を示唆する、また別の体験があった。

エレベータは「社会人」が優先?

それは先日家族で一時帰国した際の一瞬の出来事なのだが、東京駅のホームでベビーカーを押してエレベーターに乗ろうとしたところ、スーツを身にまとった人たちがどっと押し寄せ、私たちには目もくれず先に乗って行ってしまったのだ。

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そんなことくらい、と思うかもしれないが、私の知る範囲ではアメリカでもオーストリアでも、田舎や都会に関係なく、駅などでエレベータに乗る際に車椅子やベビーカー、また高齢者などサポートが必要な人を優先させることは通例であり、このようなことは起こり得ない。

私はこの違いを生んでいる日本の背景には、仕事をするなど経済的に自立した大人を「社会人」と表現することに代表されるように、社会とは特定の大人が動かすもので、それ以外の人はその特定の層また社会そのものに迷惑をかけてはならないという意識があるではないかと考えている。

このような「社会人」を社会の中心とする意識は、仕事をすることの社会的価値に対して子育ての価値を相対的に下げ、社会に迷惑をかけないようにと親や子供を怯えさせるだけでなく、「男女格差」という日本で子育てを難しくするもうひとつの重大な要因をも生んでいる。