歴史を学ぶことの限界
ニック 汚名を着せられるからでしょうか。
教授 元慰安婦にとっては、汚名とトラウマが理由でしょうね。戦時中の女性に対する暴力はほかの国にもありましたが、戦争の物語には組み込まれにくいものなのです。
では、慰安婦とは、どのような人たちだったでしょうか。
ダイスケ 若い女性でしょうか。
数人 貧しい。
トム 田舎に住んでいる?
教授 そうですね。では'90年代にはこうした慰安婦たちはどうなっていましたか。
ジヒョン とても年を取っていました。
教授 とても年を取り、貧しい人もいて、アジア諸国に散らばっていました。そんな彼女たちが、なぜ現在の私たちの記憶の中に入ってきたのか。慰安婦問題を顕在化させようとしたのはどのような人たちでしたか。
ダイスケ 人権活動家ですか。
教授 人権活動家もそうですね。ほかには?
トム フェミニスト?
教授 はい。'95年に北京で国連主催の第4回世界女性会議が開かれ、有名なスピーチで「人権とは女性の権利であり、女性の権利とは人権なのです」と語られたように、この頃には人権としての女性の権利がさまざまな枠組みで大きく取り上げられるようになっていました。
'98年には国際刑事裁判所のローマ規程が戦時中の強姦を「人道に対する罪」と規定しました。強姦というのは歴史上、どの戦争にも付き物でしたが、それが初めて現代の国際法上で「犯罪」として認定されたのです。
■自国の悪い過去とどう向き合うか
教授 では次の質問に移りたいと思います。皆さんは慰安婦について、どのように記憶すべきだと思いますか。どの国にも「悪い過去」というのは存在するけれど、どうやってその悪い過去を認めるのか。そもそもなぜ、過去について知る必要があるのでしょうか。
ニック 再び起こり得るから、でしょうか。
教授 再び起こるのを防ぐためにはどうすればいいのでしょう。
ニック 歴史を学ぶ……?
教授 歴史を学んでも、それだけでは限界があるようです。
マオ 例えばナチスと似た気配が現れ始めたらそれを防ぐことでしょうか。
教授 そうです。「決して繰り返さない」と言うだけでは十分ではありません。
過去に悪だと特定したものが未来で再現されないよう、私たちの価値観に基づいて行動することは、市民として、また人間としての責任です。それが歴史の意義であり、記憶の意義なのです。なぜなら結局のところ、過去は過去であり、私たちが作り出せるのは未来だけだからです。
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ここまで紹介したのは講義のほんの一部だ。本書にはほかにも、「日系アメリカ人の歴史」や「原爆をめぐる物語」など、日本の歴史と記憶について、示唆に富む話が詰め込まれている。
『週刊現代』2019年8月3日号より