第二次世界大戦の「記憶」は、国によってまったく違うという現実

「大東亜戦争」「抗日戦争」「非常事態」
週刊現代 プロフィール

政治によって変わる記憶

教授 そうなのです。遊就館というのは、靖国神社の境内にある愛国主義的な施設で、'02年に改装されました。伝えているのは軍部の視点や、カミカゼなど犠牲になった英雄たちの視点です。これらは日本で語られる戦争のメインストーリー、つまり被害者としての国民の記憶とは違います。

重要なのは、一国の中でさえ「一つのストーリー」というのはあり得ないということです。

現在が記憶を書き換える

教授 さて、戦争の物語がどう作られたかを理解することは、それぞれの国で共通の記憶が変わってきたこと、もしくは変わらなかったことを理解する上で重要です。

では共通の記憶はどのようにして変化するのでしょうか。そのきっかけは何だと思いますか?

 

トニー 別の戦争ですか。

ダイスケ 時代という意味での「時」でしょうか。

教授 今、2人が挙げてくれたことはどちらも正解です。それに加えて、記憶が変化する際の直接的な理由は、政治です。

日本の場合、自民党政権が続き、そして、戦争についての記憶も凍り続けました。それでは、38年間与党だった自民党が下野した'93年に何が起こったと思いますか。

コウヘイ 河野洋平内閣官房長官が公式に謝罪しました。

教授 自民党の河野が謝罪したのは慰安婦についてでしたが、'93年に政権交代した後は、自民党ではない首相たちが侵略戦争そのものについてアジアに対して謝罪を行いました。また、'09年に民主党が政権を取る直前、後の鳩山由紀夫首相は「靖国神社に参拝しない」と宣言しました。'12年に自民党が再び政権を取ると戦争の記憶も元に戻りそうに見えましたが、実際には不可能でした。

それでは、日本の「太平洋戦争」という物語に疑問符が付き、それが崩れ出したのはいつだったでしょうか。

ダイスケ '80年代にアジアから声が上がってきたときではないでしょうか。

教授 そのとおりです。'89年に冷戦が終わって以降、日本は戦争についての共通の記憶に対処せざるを得なくなってきました。中国の台頭によって、日米同盟のほかにアジアとの関係をも考慮する必要性が増したからです。

つまり、国際関係が変化した結果、日本はアジアとの戦争の記憶にも直面することになりました。

何度も繰り返される「慰安婦問題」

教授 それでは「慰安婦」をケーススタディーとしながら、さらに考察を進めてみましょう。'45年もしくは終戦直後に、人々が慰安婦について知っていたのはどんなことだったでしょうか。ここでいう「人々」というのは誰を指すのかについても教えてください。

ニック 慰安婦のようなことは日本軍だけではなくほかの国の軍隊でもありましたし、東ヨーロッパでもひどいことが起きていました。

教授 慰安所について確実に知っていた人というのは誰でしょうか。

ニック 軍人たちです。

教授 もちろんそうですね。慰安所というのは、あえて一般的に呼ぶならば、軍の売春宿のことです。当時、慰安所は軍にとっては珍しいものではなく、それぞれの国の軍隊が売春宿を持っていました。では、軍人のほかにその存在を知っていたのは誰ですか。

マオ 歴史的には皮肉なことかもしれませんが、戦後、米軍が日本を占領していたときにも同じような施設があったと思います。もっと聞こえがいい名前に変えて……。

教授 「余暇・娯楽協会」(RAA)ですね。日本占領期の売春についても語れることは多くありますが、ここで重要なのは、軍のための売春宿は見慣れない存在ではなかったという点です。戦後、慰安婦について知っていたのは、まずは慰安所を利用したことがある人と元慰安婦たち自身でした。しかし、彼らや彼女たちはそのことについてあまり語らないですね。なぜ語らないのでしょうか。

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