第二次世界大戦の「記憶」は、国によってまったく違うという現実

「大東亜戦争」「抗日戦争」「非常事態」
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歴史と記憶の違い

グラック教授(以下、教授) まずこの質問から始めたいと思います。「パールハーバー」と聞いて、思い浮かべることは何でしょうか。

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ユウコ 日本による米軍基地への攻撃。

トニー ベン・アフレック(主演の映画『パール・ハーバー』。'01年公開)。

ミシェル 多くの犠牲者。

教授 では二つ目の質問は、「その印象はどこから来たのか」です。どこから、「日本による攻撃」という印象を得たのですか。

ユウコ 日本の歴史の教科書です。

 

教授 何年生のときですか。

ユウコ 小学校5年生くらいのときでしょうか。

教授 「ベン・アフレック」。これはどこから来たのか分かります。映画ですよね。

トニー そうです、映画から連想しました。でも最初に真珠湾攻撃について知ったのは、9年生(日本の中学3年生にあたる)のときの「アメリカ政府」という授業です。

教授 それはどこで学んだのですか。

トニー フロリダ州のタンパです。

教授 「アメリカ政府」の授業で、パールハーバーにどう言及されたのですか。

トニー 正確には覚えていません。9年生の頃のことなので……。

教授 分かりました。よく覚えていない、ということ自体も重要ですね。知らない人もいるかもしれませんが、アメリカでは教科書や学校のカリキュラムというのは州ごとに決められていて、それぞれ異なっています。アメリカ独特の現象ですね。

では「多くの犠牲者」と答えたミシェルは?

ミシェル 母からです。祖父は米海軍でホノルルに配置されていました。

記憶が歴史を凌駕するとき

教授 いいでしょう。さて、私がこういう質問をした理由についてですが、これはどんな戦争の話をするときにもできる、次の質問につながっていくからです。つまり、「これは歴史なのか? それとも記憶なのか?」という質問です。ここで「記憶」と言うとき、それは個人の記憶ではなく、「共通の記憶」のことを指します。

皆さんが話してくれたことの情報源を考えたとき、そのほとんどはいわゆる「共通の記憶の領域」に属しています。私は分析手法として歴史と記憶を分けて考えることにしています。

歴史というのは、歴史家が歴史書に書くもので、主に学者や一部の読者に読まれるものを指します。一方で記憶というのは、学校の教科書や国の記念館、記念祭や式典、映画や大衆文化、博物館や政治家のスピーチなどを媒介して多くの人々に伝達されます。

スペンサー 一番問題なのは、記憶があたかも歴史であるかのように装っていることだと思います。現在、アジアの政治家たちはそれぞれ「これが歴史だ、これが起きたことだ」と言っているけれど、それはたいてい記憶なのではないでしょうか。

教授 それは記憶が歴史を凌駕しているケースだと言えるでしょう。そして、それが政治家やマスメディアの口から語られると何が生まれるか。戦争についてあまり知らない人たちの間でさえ敵対心や衝突、憎しみを生んでしまうことになります。

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