# アジア

韓国は「反日」で燃え盛っているが、世界は親日国で溢れている理由

ミャンマーが忘れない独立支援の恩
井上 和彦 プロフィール

幸せな日々

戦後、バー・モウは、自著『ビルマの夜明け』で、長きにわたったイギリスの植民地支配から独立できた当時のビルマの様子をこう回顧している。

《それは言葉では言い現せないほど幸せな日々だった。人々は喜びに胸をふくらませて、いたる所で歌った。国民こぞってこれを祝うために、各地域社会を代表する委員会が設けられた。くる日もくる日も群集がパゴダを訪れて灯明をあげ、花を捧げた。僧たちは町中で振舞を受け、催物は果てしなく続いた。人々は集い、日本語で万歳を叫んで、日本に対する深い感謝を現す決議をした。同時に、喜びと感謝の気持ちを綴ったメッセージが東条首相と日本政府に送られた》(ASEANセンター編『アジアに生きる大東亜戦争』展転社)

ビルマ国民軍は、日本軍と共に進撃し、各地でイギリス軍と戦闘を繰り広げたのだった。 

ところがインパール作戦で日本軍が敗退し、日本の敗色が濃厚となるや、突如アウン・サンは連合軍側に寝返って日本軍に銃口を向けたのである。

 

戦後、このことをもってアウン・サンが反日闘士のようにいわれることがある。だがそれは違う。誤解を恐れずにいえば、アウン・サンは国家の生存のために、日本を裏切る苦渋の選択をせざるを得なかったとみるべきであろう。

アウン・サンは、日本と共に敗戦国となって再びイギリスの植民地となるより、ここは、戦勝するであろうイギリスの側に立って戦い、戦後のイギリスとの交渉を有利にしようと考えたのだ。つまり彼は日本軍を恨んで敵対したのではなかったのである。

そのことは戦後、BC級戦犯に問われてビルマに連行された鈴木敬司少将(最終階級)をアウン・サンが助け、後の1981年(昭和56年)には、鈴木少将ら7人の元日本軍人に国家最高勲章が授与されていることがなによりの証左であろう。

1948年(昭和23年)1月4日、ビルマは、アウン・サンの思惑通り、連合軍に協力したことが評価されて再び独立を勝ち取った。だがその半年前にアウン・サンは暗殺されており、その喜びを分かち合うことはできなかったのである。