かつての首都ヤンゴン(旧ラングーン)にも大きな日本人墓地があり、墓苑内には数多くの慰霊碑が建つ。「戦友と共にここに眠る」と刻まれた慰霊碑、そして「父よ ありがとう 安らかに」と刻まれた、息子からこの地で亡くなった父親への慰霊碑の言葉が胸を打つ。
実は、先に紹介した『ビルマの竪琴』の主人公・水島上等兵のモデルとなったといわれる中村一雄曹長の慰霊碑(復員され92歳で逝去)もあり、この日本人墓地は、もっとも知られた慰霊参拝の場所となっている。
かつての激戦地でメイクテラーと呼ばれたミャンマー中部のメイッティーラにも日本兵の墓があった。この墓は、寺院の尼僧が生活する区画内にあり、いまも彼女たちが守り続けてくれている。墓石の両端に建つ慰霊碑には、「狼兵団 第168連隊通信隊」と、もう一つには「独立自動車第102大隊」の文字が刻まれていた。
ピンク色の僧衣を着た尼僧は「ここには(日本兵の)お墓もあり毎晩お経を唱えています」と話してくれた。これを聞いた私は、彼女らに心からの感謝の意を伝えた。
無情にも祖国で忘れられた日本軍兵士たちが異国のミャンマーで慰霊されていることに複雑な思いがこみ上げると共に、こうして毎日手を合わせてくれている尼僧らの祈りが、ただただありがたかった。
さらにこの近くには、歩兵第16連隊長の揮毫(きごう)による大きな鎮魂碑と、先の独立自動車第102大隊戦没者のための仏塔が建立されており、こちらは男性の僧侶たちが鎮魂してくれていた。
大人から年端もゆかぬ小さな少年僧侶を目の当りにしたとき、熱い感動で胸がいっぱいになった。
まったくもってミャンマーの人々に頭が下がる思いである。