「オーイ、水島! いっしょに日本へ帰ろう!」
終戦を迎えて復員を待つ日本兵たちが、山野に散らばる戦友たちを弔うために僧侶となって現地残留を決心した水島上等兵に呼び掛ける、映画『ビルマの竪琴』のクライマックスシーンは感動的だった。
この映画の中で日本兵たちが水島上等兵の奏でる竪琴に合わせて歌う『埴生(はにゅう)の宿』のメロディーはいまも私の胸に響き続け、この曲を聞くたびにミャンマー(ビルマ)のことが頭に浮かぶ。
大東亜戦争で、終戦までに投入された日本軍約30万人のうち、およそ18万人が戦死したビルマ戦線。この戦いの過酷さは筆紙に尽くせぬものがあった。
なるほど、大東亜戦争末期の兵士たちの戦記を読めばその苦労がよくわかる。
まずもって日本軍と連合軍とでは、物量が雲泥の差であった。連合軍は、陸路を大型トラックで、また空からは輸送機を使って十分な武器弾薬・食料を補給できたが、日本軍にはおよそ補給は期待できなかった。
だが日本軍将兵はこの不利な状況にありながらも至純の愛国心をもって勇猛果敢に戦い続けたのである。こうして斃(たお)れた兵士たちの亡骸は各地に放置されたままとなったため、いまも日本政府や民間諸団体による遺骨収容が行われている。
そんなミャンマー各地には日本軍将兵の慰霊碑が建立されているのだ。