あいちトリエンナーレでも露呈…表現の自由と権力の危ない関係

「メディアの忖度構造」という問題
中島 岳志 プロフィール

メディアの自主規制、犯人は誰か

事実、この事件を調査していた市民グループによれば、当時の学生たちがレーン先生がずっと通っていた本屋さんで尋ねると、先生とは30年来の付き合いのはずの店主が「私はレーン先生とは親しくないからよく知りません」ととぼけたのだそうです。

「下手なことを言うと自分も捕まるかもしれない。何も言わないほうがいい」

たった一件の逮捕で、まさにパノプティコンと同じように「見られている」という感覚が内面化され、それだけの自主規制が広がった。そして、おそらくはもっと早い段階から、そうした自主規制を続けていたのがメディアだったのだと思います。

今の日本もまた、秘密保護法などがつくられ、メディアが自主規制によってなかなか声をあげられない状況にある。

「忖度」の問題について考えるための本として、森達也さんの『放送禁止歌』があります。

この本は、テレビやラジオで「放送できない」とされている「放送禁止歌」とはいったい何なのか? をテーマとしたドキュメンタリーで、フジテレビで放送された番組が元になっています。

〔PHOTO〕iStock

中でも中心的に扱われているのが、岡林信康が部落差別を歌った『手紙』という歌です。

森さんがこの番組をつくるきっかけの一つは、同じく放送禁止歌だと思っていたザ・フォーク・クルセダーズの『イムジン河』がNHKでオンエアされていたという話を聞いたことだそうです。

不思議に思って担当ディレクターに聞いてみると、「いや、私も気になっていたけれど、調べたら禁止されたりはしていなかった」という答えが返ってくる。その後、森さんが本格的に取材を進めていくと、意外な事実がいろいろと出てくるんです。

 

放送禁止の基準を決めているのは日本民間放送連盟(民放連)だと聞いて取材に行くと、その民放連では「いや、たしかにガイドライン的なものはあるけれど、強制力はなく、実際に放送するかどうかは放送局の決定に委ねられている」といわれる。

しかも、「放送する際には注意するように」という曲を集めた「要注意歌謡曲一覧」というリストは存在していたものの、『手紙』も『イムジン河』も、森さんが「放送禁止」だと聞いていた曲は、そこにはほとんど載っていなかったのです。

どういうことだろう、と次にフジテレビの上層部に聞きに行く。そうすると、今度は「部落解放同盟」という言葉が出てきた。要は、『手紙』のような部落差別を歌った歌は、解放同盟の抗議や糾弾を受ける可能性があるから軽々しく放送できないのだ、というんですね。

それを聞いた森さんは、カメラを持って解放同盟を訪ね、『手紙』などの歌がテレビで流されることに対して「圧力をかけたのはなぜですか」と尋ねます。

そうしたら、解放同盟の人たちは「同盟として正式に抗議したことはない。それどころか、『いい歌なのにどうして広まらないんだろう』と不思議に思っていた」と答える……。

そこで森さんが映し出した印象的なショットが、「鏡に映った自分自身」の姿です。

つまり歌を「放送禁止」にしていた犯人は、メディアである「僕」であり、テレビの前の視聴者である「あなた」ではないか? そんなメッセージに受け取れます。