餓死、物乞い、スリ…戦争が生み出した「浮浪児」その厳しすぎる生活

金もなければ食べ物もない
石井 光太 プロフィール

路上で手を差し伸べた大人たち

そんな浮浪児たちにも、路上で手を差し伸べてくれた大人たちがいた。私が取材でもっとも感銘を受けたのが、浮浪児たちがそういう大人と出会った瞬間だった。

たとえば、上野駅の周辺には、戦争によって手足を失うなどした「傷痍軍人」の姿があった。彼らがハーモニカやアコーディオンを弾いて物乞いをしていたのである。

浮浪児たちはそんな傷痍軍人たちをかわいそうに思って手伝いをした。目の見えない傷痍軍人がいれば物乞いをするところまで手を引いていってあげ、足の不自由な傷痍軍人がいれば飲み物や食べ物を差し入れてあげた。

傷痍軍人は、そんな浮浪児たちを我が子のようにかわいがり、「おじさんが、君たちに読み書きを教えてあげよう」と言って、路上の片隅で文字や計算を教えてあげた。

 

これはパンパンと呼ばれていた売春をしていた女性たちも同じだった。戦争で家族を失った若い女性、夫を失った未亡人などが、日々の生活に困って路上に立ち、春をひさいでいた。

浮浪児たちにしてみれば、彼女たちはお姉さんみたいな年齢だったことから、なついていった。彼女たちの方も、弟のようにかわいがり、お菓子を上げたり、ご飯を食べさせてあげたりした。

元浮浪児の村上早人はパンパンと同棲した経験がある。

「パンパンが俺のことをあわれんで家につれていってくれたんだ。寝る場所とご飯を毎日用意してくれて、時間のある時は読み書きや計算を教えてくれた。おかげで俺は社会で必要な最低限の知識を身につけることができた。もしあそこで読み書きを教わっていなかったら、大人になってもまともなことは何一つできなかっただろうね」

傷痍軍人にせよ、パンパンにせよ、彼らは戦争によってどん底に叩き落された人々だ。だからこそ、同じく戦争によって親を失い、路上で生きていかざるを得なかった浮浪児を他人ごととは思えず手を差し伸べ、そして将来のためを思って読み書きや計算を教えてあげたのだろう。