餓死、物乞い、スリ…戦争が生み出した「浮浪児」その厳しすぎる生活

金もなければ食べ物もない
石井 光太 プロフィール

泥棒に関しては、露店などから商品を盗むだけでなく、ヤクザの窃盗集団のようなものもあった。ヤクザの大人たちにつれられて、進駐軍の倉庫に缶詰などを盗みに行くのだ。ただ、実際は捨て駒にされていたようだ。

これの経験を上羽秀彦は語る。

「ヤクザにつれられて倉庫荒らしにいくんだけど、簡単やない。入り口には機関銃を持った兵士が何人もいて、バレれば問答無用で射殺やわ。俺たちも必死になって金網の穴をくぐり抜けて倉庫の下の空気孔から内部に入って、食糧、毛布、石鹸なんかを盗み出した。途中で見つかって撃ち殺された子もいたよ」

上羽は違うが、元浮浪児たちの証言によれば、悪事をして稼ぐ浮浪児と、そうでない浮浪児には違いがあったという。

 

終戦から1、2年は純粋な戦災孤児が大半だったそうだ。彼らはある日突然空襲で親を失った子供であり、中には育ちが良い子もいる。そのため、彼らの多くは浮浪児になっても道を踏み外さず、露店の手伝いや商売をして生きていこうとした。

だが、終戦からしばらくすると、家出少年が浮浪児として町に現れだす。親が戦争によって心を病んで家に帰ってきて、敗戦のショックや将来への不安、生活難から家庭内暴力をふるうようになったり、アルコールや薬物に溺れたりするようになる。その暴力に耐えかねて家出をして上野にやってくるのだ。

こういう子は荒れた家庭の犠牲者であり、上野に来た時には心が荒んでしまっていることがある。それゆえ、前者にくらべれば、暴力的な素行が目立ち、積極的に悪事に手を染めることがあったそうだ。

これは複数の元浮浪児が語っていることであり、当事者にしてみればその印象は少なからずあったということなのだろう。1949年頃には、純粋な戦災孤児より、家出少年の方が浮浪児としては大きな割合を占めるようになっていったらしい。