「仕事にウンザリ」ありがちな違和感が、あの「偉大な発明」を生んだ

新連載「AIブームの次にくるもの」
松田 雄馬 プロフィール

リックライダーら歴史的な情報技術者を密に取材した評論家ハワード・ラインゴールドは、著書『新・思考のための道具』において、リックライダーが「人とコンピュータとの共生」という思想を生み出した際のエピソードを詳細に記述している。

ハワード・ラインゴールドハワード・ラインゴールド Photo by Christopher Michel / Flickr

もともとリックライダーは、脳の音声情報処理について研究していた。だがやがて、その研究活動そのものにウンザリしはじめたようで、「増えるばかりの数値データの処理と資料の出し入れや整理などに、自分の大半の時間が費やされているような気がしてきた」と語る。

どんな職業の人でも一度は感じるであろう、何となくの違和感。実直な社会人であれば、「それが仕事だ」と割り切れる程度のものかもしれない。しかしながら、リックライダーはその違和感を放っておくことができなかった。

ある意味、とても研究者らしいところでもあるが、彼は実際に「研究者がどんなふうに自分の時間を使うか」を確かめてみたという。

研究者の時間配分を研究していた研究者はこれまでにいなかったので、彼は、自分自身を被験者として、日常の活動記録をつけてみた。すると、あの違和感が正しい、というデータが出てきたのだ。

リックライダーの研究活動のほとんどは、「記録をとる」という事務的な作業に費やされてきたことがわかってきたのである。本来は最も重要なはずの「考える」ための時間はわずかしかなく、総活動時間の実に85%が事務作業に食いつぶされていた。

リックライダーは、解釈と評価こそ科学者のいちばん重要な役目だと信じていたのだが、この行動調査の分析により、自分の研究の多くの時間が「一連の推測や仮説の論理的または動的結論を、検索し、計算し作図し、変形し、決定するため、あるいは、決定や洞察の方法を準備するための」事務的で機械的な仕事にとられていることを、認めざるをえなかった。

そして「そのうえやっかいなことに、何を試みるべきか、何を試みるべきでないか、といったことについての自分の選択は、知的能力にではなく、事務処理実行の可能性というものによって制限されていたのだ」という結論に達したのだった。

このことから、リックライダーは「技術研究者が時間をとられている作業の多くは、機械を使ってもっと効率的におこなわれるべきだ」と考えるようになった。これが「インターネットの発明」につながっていくのである。

思想というものは、選ばれた少数の天才だけが、天から授けられるもののように感じられるかもしれない。

しかしながら、リックライダーのエピソードは、そうではないということを示唆している。

思想というものは、個人的な葛藤をも含む「想い」に対して、無視することなく向き合うことによって育(はぐく)まれるものなのだ。

AIブームの「向こう側」にあるもの

日々、大量の情報を処理することに心を奪われがちの現代社会において、個人的な「想い」に向き合う時間は、無視されがちかもしれない。

さらに言うならば、個人的な「想い」に対して主観的に向き合うだけでは、現実と乖離していく場合がある。

リックライダーは、「数値データの処理と資料の出し入れや整理などに、自分の大半の時間が費やされているのではないかと」いう、個人的かつ素朴な疑問を、主観的に切り捨てたりはしなかった。

そして彼は、(適切ではないと知りつつも)自分自身を被験者として、なるべく客観的に分析し、行動記録をまとめることで定量化した。その上で、事務的で機械的な仕事に85%の時間を奪われ、科学者にとって最も重要な仕事である「解釈」と「評価」ができずにいるという事実をつきとめ、「時間をとられている作業の多くは、機械を使ってもっと効率的におこなわれるべきだ」と考えるに至ったのである。

リックライダーは、自分自身の主観的な違和感を無視することなく、またそれ自体を鵜呑みにすることなく、客観的な事実と向き合い、主観と客観のコミュニケーションによって、未来を創造した。このように、自分自身の「想い」と客観的な事実、この両者に真っ向からぶつかりながら、即興劇的に未来を創造していく姿勢にこそ、未来を生きるヒントがあると筆者は考える。

The best way to predict the future is to invent it.
未来を予測する最善の方法は、未来を(自分自身で)発明してしまうことだ。

先の見えない情報化社会を生きていく最善の方法は、まさに、リックライダーの孫弟子にあたるアラン・ケイのこの言葉に集約されている。

アラン・ケイダイナブックのプロトタイプを持つアラン・ケイ Photo by Marcin Wichary / Flickr

いまや、自らが欲すれば、どんな情報でも手に入り、どんな人とでもつながることができ、どんな技術でも身につけることができる。能動的(主体的)に生きる人にとっては、まさに夢の時代が到来したと言える。

今、自分は、どんな人とつながり、どんな未来を生きていきたいだろうか。

この問いを、一人ひとりが主体的に考え、その未来を一歩ずつ着実に実現していくことこそが、この情報社会の変革につながっていくのではないだろうか。

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