別れるなら君も子供も…DV夫から逃げる妻を襲う「嫡出否認」の不条理

120年前の法律に苦しめられる女性たち
松岡 久蔵 プロフィール

「この出生届は間違っています」

逃亡生活の後、A子さんは親戚の紹介で営業事務の仕事につき、ひっそりと新生活を始めた。表札を偽名にするなど、Bの追跡をかわす工夫を凝らしながら、息をひそめるようにして子供を育てた。

追ってきたBといつ出くわすかわからない恐怖から、わが子と外で遊ぶこともままらなかった。幸いなことに、近くにスーパーなど生活インフラは整っていたため、それほど遠出をする必要がなかったのが救いだったという。

そんな時、Aさんは子供好きの男性Cさんと知り合った。

ふたりは交際に発展し、長女を授かった。無事出産したA子さんだが、出生届を出そうと最寄りの区役所を訪れた時、衝撃を受けた。

窓口の職員が「この子のお父さんはBさんですね。この届出は間違ってます」と言い、定規と赤ペンで書き直そうとしたのだ。A子さんは「勝手に書かないで下さい」と咄嗟に制止したが、当初はわけがわからなかったという。

 

その後、法務局の担当者から説明を受け、A子さんは「嫡出否認」という制度を初めて知った。

「嫡出否認」については、耳慣れない読者も多いはずなので、説明しておこう。

民法では 「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する」と定められている。さらに夫の側にだけ、妻が産んだ子供を自分の子供でないと否認することができる「嫡出否認権」が、子の出生を知ってから1年以内に限って認められている。

この奇妙にも見えるきまりは、現行の家族法が制定された1898年当時の近代日本において、「家」を基本単位とし、「戸主」と呼ばれる一家の責任者「家長」が、家族の住むところや誰と結婚するかなどを決定する 「家制度」が前提とされていたことがルーツとなっている。

敗戦後、家制度そのものは解体されたが、長男が家や相続財産を継ぐという、戦前からの慣習は残ったというわけだ。全国紙社会部記者はこう解説する。

「日清・日露の両戦争を通じて一等国入りを果たそうとしていた当時の日本にとって、徴兵制を定着させる必要などから、地域社会内での力関係を明確にして共同体秩序を安定化させることが喫緊の課題でした。

妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する』 という規定は『あそこの家長は妻を別の男に寝取られた』などと言われて夫が威厳を失うと、明治以降作り上げてきた戸籍制度の根幹が揺らぐ懸念があったから生まれたのです。

この『家父長制』的な価値観は、地方には今でも色濃く残っていて、実際に東日本大震災の発生当時、東北の被災自治体で取材した際には『そういう難しい話は夫に聞いて下さい』という返答がものすごく多かった。東京など都市部に住んでいるとわかりにくいですが、こういう雰囲気は現代日本にも歴然とあるのが実情です」