自衛隊PKO派遣、日本が重ねてきた国際社会への「詐欺」を明かそう

そして会議場は凍りついた…
伊勢崎 賢治 プロフィール

激変したPKO

話をPKOを取り巻く世界情勢に戻そう。

もともとPKOは、終戦直後の国連憲章の制定期には想定不可能だった国際情勢の変化に対応するべく誕生した。冷戦下で進行していたのは宗主国の支配から解放される独立国の誕生であった。主人を追い出した後、だれがその権力を引き継ぐか。内戦の時代である。それが当初のPKOの現場であった。

内政不干渉を原則とする国連憲章にあって、国連が主権国家たる一国連加盟国の内戦に介入するのは、あくまで、例外的措置である。そういう「強制措置」は国連憲章第7章に定められ、まず第6章による当該国の同意の下の「平和的勧告」の万策が尽きた後に実施される。

第6章では、問題の当該国にその問題を解決する主権が存在する。しかし、第7章では、それが存在しない。自らの問題解決の主権の不在を誰が、何を基準に決めるのか。第7章の措置への合意形成は、当然ながら、ハードルが高く、しばしば拒否権の発動で国連安全保障理事会が割れる。

一方で、軍事的介入は、ここ第7章にしか存在しないのだ。

そこで、第6章(当該国主権の同意)の下の軍事的介入というオプションが生まれた。それが、PKOが第6章と第7章の間の「6章半措置」と呼ばれる所以である。

多発する内戦という新たな国際情勢の変化に対応すべく、国連憲章の「解釈」と「運用」で創始されたPKOであるが、今でもPKOは大きな過渡期にある。PKOを取り巻く国際情勢が大変に悪化しているのだ。

現在、世界の紛争国で展開するほとんどのPKOの主要任務は「住民の保護」である。100日間で100万人の住民が犠牲になった1994年のルワンダの大虐殺など、該当国政府の同意の下にPKOが派遣されるも、その当該国政府自身が自らの国民を虐殺するという状況に、「中立」な国連が何もできず住民を犠牲にした歴史的なトラウマが、現在のPKOの激変の契機になっている。

その隣のコンゴ民主共和国でも、この20年間に640万人の住民が犠牲になっている。同時に、人権主義に基づく「人道介入」の要請が、ポリティカル・コレクトネスとして国連を中心とする国際社会を席巻している。住民のためにもっと戦え、と。

詳しくは、このリンクを参照されたい(南スーダンの自衛隊を憂慮する皆様へ~誰が彼らを追い詰めたのか? https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49799

 

3Kの実態

今日のPKOを一言でいうと3K。つまり、嫌われる、殺される、金がない、だ。

まず嫌われる。

PKOに要請されるのは、その国家の国軍と警察に代わって、国民の安全を確保することである。多くの場合、PKOの受け入れを「同意」した当該国の政権の、その当の国軍と警察、またはそれらが操る武装集団が、国民の直接の脅威になっている。

この「捻れた」政治環境の中で、住民を守るべく、それらに敵対するとなると、当然、どんな国にもある「ナショナリズム」を刺激してしまう。外国の軍隊が祖国に言いがかりをつけ我が物顔に振る舞っているという、大変に分かりやすい「愛国プロパガンダ」である。彼らからすれば、PKOは国家主権を脅かす外国の占領軍なのだ。

こういう敵意に満ちた現場の環境では、当然、PKO要員の心も荒む。

PKO部隊にとって、それが悪い政府や武装組織寄りの民兵なのか、それとも無辜な民衆なのか、そう簡単に判別できるものではない。当然、婦女子にも銃口を向けなければならなくなる。不慮の事故も起こる。嫌われる。そして荒んだ心が、買春、犯罪に向かわせる。さらに嫌われる。

その結果、PKOは襲われる。PKO要員が殺されるのだ。