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深刻化する日韓関係「植民地支配の罪」をどう扱うかという最重要論点

日本という国の最大の弱みとは何か

最近の日韓関係は、つらく、哀しい

最近の日韓関係を巡る状況は、つらく、哀しい。

どちらかが他方を完全に屈服させねば気が済まない所まで、両国の一部の国民の心情は高ぶっているように見える。剥き出しのナルシシズムとナルシシズムが、ぶつかり合っているかのようだ。

しかし私は、この闘争が過熱して後戻りのできない所まで進むことがないことを願う。その目的に寄与できることを願って、この小文を執筆する。

日本が戦前に行った植民地支配の罪をどのように扱うのか、ということが最重要の論点である。

 

この問題を扱うのに、一つの補助線を導入したい。キリスト教の影響が強い英語圏では、日本語の「罪」に当たる言葉には「sin」と「crime」の二種類がある。

「sin」は罪の、一神教の神に対する違反の側面である。この場合には、日常生活を超えた永遠や絶対などの水準が問題になっている。

それに対して「crime」は罪の、共同体内における違反の側面であり、これの仲裁を行うのは人間である。

日本が行った植民地支配は、神の前にやはり「sin」として記録されるものである。これに赦しがもたらされるか否かは、神に委ねられることがらであり、人智が及ぶところではない。

そのような「sin」を帯びているのは日本人だけではない、たとえば、韓国人もベトナムで罪を犯したのではないか、西欧諸国もやはり植民地支配で多くの罪を犯したのではないか、そのような指摘がなされうるだろう。

それに対しては「然り」と答えるより他はない。神の前には人は皆、「sin」を帯びた存在である。これが原罪という概念につながっていく。

日本が行った植民地支配は、「crime」でもあった。これの調停を行うのは、人間である。当事者が調停者を交えて話し合い、約束を行い、それを相互が履行していくことが求められる。