「怒りが最高のエンタメ」と化した令和のネットで、破滅を避ける方法

御田寺圭×ハヤカワ五味 特別対談
御田寺圭, ハヤカワ五味

意見が違うという「多様性」を信じる

ハヤカワ 自分の見知っている狭い範囲の常識を、世間の常識と思っている人が増えているようにも感じます。たとえば大都市で暮らしている人には、「日本には貧困なんてないでしょ」と本気で思っている人も少なくない。想像できないんですよね。

でも、私と同世代にも、生活保護を受けている人もいれば、少子化と言われる中、20代で子供を3人育てているという人もいます。「多様性」という言葉は最近よく耳にしますが、「多様性」と一口で言っても、想像する光景が人によって全然違う。やっぱりそれではすれ違うのも当然だし、前提が違う中で議論するから、お互い納得がいかない。

私が御田寺さんの本や意見を積極的に読んでいるのも、自分の意見とは相容れない部分があるからです。だからこそ批判として意味があるし、発見がある。意見が違うことも多様性のひとつです。多様な意見があるからこそ、自分が何に気づいていなかったか、どんな人に対して配慮が足りなかったか、気づくことがあります。

 

御田寺 ですが、それが意識的にできる人はかなり少ないですよね。自分と意見を同じくする人びとから論敵とみなされている人とか、あるいは世間からバッシングを受けている人の意見にあえて耳を貸そうとすることは勇気が要ります。しかしそういうバランス感覚を持つ人を一人でも増やすしかないとも思います。

感情と分析的な考え方をバランスよく両立できるようなふるまい――アクセルとブレーキを適度に使い分けながら運転するような感覚とでも喩えましょうか。これをみんなが持てるようになればいいなと。もちろん私自身がいつだって十分にできているとも思わないので、自戒を込めてですが。

ハヤカワ 感情のあり方は時代背景によっても移ろうものですよね。そういう不安定なものだからこそ大切にしなきゃいけないし、議論の出発点としては重要です。ですが、あらゆる局面において感情を優先して社会の仕組みを変えようとしたり、誰かに罰や制裁を与えるための根拠にしてしまうのは危うさを感じます。

御田寺 私にとってもハヤカワさんのような人の意見はブレーキですし、私がハヤカワさんにとってのブレーキになっているなら光栄です。立場や意見が違っても、たまにお互いの考えに耳を傾けて安全運転ができるなら、それに越したことはない。世の中全員が、同じタイミング、同じ方向でアクセルをベタ踏みする必要はありません。

多様性とは、自分のなかにブレーキを見つけていくことかもしれない。みんなで気持ちよくアクセルを吹かしているときにブレーキを踏むのは勇気が要りますが、踏まなければいつか事故を起こす――そういう気持ちでネットやSNSを使っていきませんか?と呼びかけていくのが、自分たちに大切な出会いやチャンスを与えてくれたインターネットにできる恩返しなのかもしれない、と最近は考えています。