【太平洋戦争の教訓】勝って驕り、そのために大敗する日本人の悪癖

生還者が語ったサボ島沖海戦の教訓
神立 尚紀 プロフィール

最初の勝利に慢心、油断して大敗する日本軍の悪癖

第一次ソロモン海戦の大勝から2ヵ月後の10月11日、日本海軍は、まさにその裏返しのような手痛い反撃を喰らう。

この日、五藤少将の率いる「青葉」以下、第六戦隊の「古鷹」「衣笠」、それに駆逐艦「吹雪」「初雪」の5隻は、ガダルカナル島に人員、物資を揚陸する部隊を支援するため、敵が使用しているヘンダーソン飛行場を夜間砲撃する命を受け、ブーゲンビル島にほど近いショートランド泊地をあとにした。

作戦計画では、水上機母艦「日進」「千歳」と駆逐艦6隻が、ガダルカナル島に重火器と300余名の上陸部隊を陸揚げして、それと入れ代わりに「青葉」以下が突入することとされていたが、この手の込んだ作戦そのものが、のちに重大な齟齬をきたす原因となった。
「ガダルカナル島飛行場からの敵機の空襲を避けるためには、ソロモン富士と呼ばれるコロンバンガラ島付近で日没を迎え、帰りは夜が明ける前に、その地点まで退避している必要がある。そこがひとつの分岐点だったんです」

と、武田さんは回想する。

「それで、ソロモン富士に日が落ちるのを見て、そこから突っ込んでいく途中、いままでに見たことのないようなものすごいスコールに遭遇しました。『セントエルモの火』といって、雷雲が出て電位差が大きくなると、一種の尖端放電でマストのてっぺんなどに青白い光を発することがありますが、この時はそれが特に激しく現れた。艦首から檣楼トップ、後部マスト、その間に張られている電纜(でんらん)と、ちょうど満艦飾のように艦全体が青白く光って、こんなに凄いのはめったに見ることができません。セントエルモというのは大航海時代の船の守り神の名前で、西洋では吉兆とされています。だけど私は、都落ちする源義経一行の乗った船を沈めようと、平家一門の亡霊が波間に現れた能楽の『船弁慶』を思い出して、何か不吉な感じがしました」

あまりに激しい嵐に、艦隊は之字運動(敵潜水艦の攻撃に備えて針路を偽装するジグザグ運動)を中止した。速力は30ノットのままである。そのため、当初の計画より約2時間も早く、作戦海面に到着してしまった。スコールが通り過ぎ、冷たい風が吹いてきた。

「サボ島の方向を見ていた見張員が、『怪しい艦が見えます』と言ってきました。私が代わって双眼鏡をのぞいてみると、真っ暗な島陰の手前に、確かに艦首尾波が白く、左から右に走っている。味方の揚陸部隊が戻ってきたのかとも思いましたが、約束では南水道から出てくるはずが、ここは明らかに北水道。おかしいと思い、艦長に報告しました」

「青葉」の艦橋では、この艦影に対し、敵か味方か半信半疑だった。揚陸を終えて戻ってくるはずの、「日進」「千歳」かも知れないと、そこで司令官・五藤少将の判断に迷いが生じた。

当直将校が「あれは味方だよ」と言い、司令官も、『ワレ青葉』と、味方識別の発光信号を出すことを命じた。この時点ではまだ、『総員配置ニ付ケ』の命令も出ていない。まもなく『煙草盆引ケ』という予令が出た。悠長な動きだった。

「みんなそろそろ配置についてきました。そのなかにとびきり目のいい叩き上げの特務少尉の掌航海長がいて、艦橋右側の双眼鏡を見ながら、最初は彼も、味方かと思ったようですが、やがて『これは怪しいです、敵らしいです』と言い、直後に『敵です!』と絶叫すると、ほとんど同時に艦長が『配置ニ付ケ』を下令、ラッパが鳴り響きました。そのとたん、敵艦から撃たれたんです」

「青葉」では、敵の軽巡「ヘレナ」の放った15センチ砲弾が初弾から命中、艦橋内をビリヤードの玉のように跳ねまわり、五藤司令官以下の下肢をなぎ払った。艦橋へ上がるラッタルには副長以下、何人もの乗組員が取りついていたが、彼らも全員が吹き飛ばされた。敵弾が次々と命中する。三基ある20センチ連装主砲塔のうち、二番砲、三番砲が射撃不能に陥る。武田さんは、たまたま艦橋の床下で炸裂した一弾の弾片を浴び、左下腿部貫通、大腿部盲管の重傷を負った。すぐ側にいた仲良しの慶應義塾大学出身の庶務主任・真崎隆主計中尉は、脊髄を射抜かれて即死していた。

突然、「青葉」の汽笛が鳴り響いた。武田さんは2ヵ月前の「ビンセンス」の最期を思い出した。「因果応報」という言葉が脳裏をよぎる。負傷した左脚に不思議と痛みは感じなかったが、失血によりだんだん意識が遠くなってきた――。

「サボ島沖海戦」と呼ばれるこの夜の海戦で、日本側は電探(レーダー)を駆使した敵の正確な射撃の前に応戦のいとまもなく、重巡「古鷹」と駆逐艦「吹雪」が撃沈され、「青葉」も大破した。「青葉」では多数の敵弾を浴びて、五藤司令官以下79名もの戦死者を出した。

このときは、出撃するさいの心構えからして前回と違っていた。防衛省防衛研究所所収の第六戦隊戦闘詳報には、「敵艦隊は夜間は遠く、あるいは湾内深くに退避していて、敵飛行場への夜間攻撃にもほとんど反撃してこないはず」という意味の情勢判断が記されている。第一次ソロモン海戦のときは、古風な吹流しが味方識別にたいへん役に立ったが、今回はそんな配慮もなされていなかった。最初の夜戦で一方的勝利をおさめたことに慢心し、敵を侮り、油断したととられても仕方のない甘さだった。

第一次ソロモン海戦では、打ち合わせの暇もなくかき集めた兵力で、ただ敵に向かって突き進んだのが、サボ島沖海戦のときは、揚陸部隊と連携し、交代で突入するなど、作戦は精緻に練り上げられていたものの融通がきかない。こちらの都合通りにことが進む前提で、万が一への備えがないから、悪天候で第六戦隊の到着時間が2時間早まったこともあって、致命的な齟齬が生じたのだ。