遊んでばかりいる天才、空気を読まない人は「カッコいい」か否か

「カッコいい」とは何か大激論・後編
現代新書編集部 プロフィール

歴史的パイオニアとプロ編集者

ハジメ:そろそろ時間も迫ってきたので、ジュンさん。

ジュン:うーん、何ですかね。女性ということでいえば『タテ社会の人間関係』著者の中根千枝さんはやっぱりカッコいいです。今年で93歳になりますけれど、自分で分野を切り拓いていますから言葉に深みがあります。

中根さんは、今から60年以上前に、インドなどを歩いたのをまとめた『未開の顔・文明の顔』がとても面白いのですが、外国だけでなく、東北から九州まで日本各地の農村を歩いているんですね。九州の農村をたずねると、「おなごの先生がやって来た」などと言って、村の人たちが面白がって、一緒に飲み明かしたと聞いています。

「女性初の東大教授」としても有名な女性研究者の草分け的存在でもあるし、社会人類学者として道を切り拓いた方ですが、人間的な魅力がありますね。

あと、会社のなかでいうと、先輩編集者だった阿佐信一さん

ヒロシ:早逝がつくづく悔やまれる、私の同期の編集者。

ジュン:この間、ある著者の方と話をしていたら、学術文庫の『高崎山のサル』の話になったんです。

『高崎山のサル』は何度も何度も、単行本でも全集でも再版されているんですけど、阿佐さんがある間違いを見つけたらしい。これまでみんなスルーしていた間違いを発見して、確認してみるとたしかに阿佐さんの指摘通りだと。

引き継ぎの関係でいっしょに原稿を読んだこともあるのでわかりますが、とにかく仕事が丁寧。学術文庫にはそういうタイプの人が多いですが、ほんとうのプロですね。それを別に威張ることもなく淡々とやっていたのが、いかにも阿佐さんらしいんです。

亡くなってもう7年ぐらい経っても、いまだに、彼と付き合っていた著者の方から阿佐さんの話が出ることがあります。そういうのは、やっぱりカッコいいなと。

田中正造という「正義の背骨」

ヨネ:最後にハジメさんのカッコいいをおきかせください!

ハジメ:俺、トリ?

マル:さてさて、どんなカッコいい人が出てくるかな?

 

ハジメ:そうやって余計なプレッシャーをかけないでくれ……。みんな10代くらいのときの経験が影響してるのかなと思うんだけど、俺も同じ。当時、学研で16冊ぐらいの歴史シリーズみたいな読み物のなかで3人カッコいいなと思う人がいて、その1人が田中正造だった。

ジュン:う~ん、なるほど。

ハジメ:ご存じのように、足尾銅山の鉱毒闘争でずっと戦った人です。人々の命を犠牲にしても足尾銅山を開拓したい、搾り取ってやるという資本家県知事がいた一方で、最後まで先頭に立って戦い続けた。酒屋で儲けた自分の財産もなげうって、明治天皇に直訴もして、死ぬときには、頭陀袋に聖書とちり紙しか残ってなかった。

そこで、いざ自分を振り返ると、仕事で彼のような戦い方はできないと思う。なにかと理不尽なこと、おかしいなと思う状況下にあっても、俺は相手に逆らえずにウジウジすることが多くて、心のなかで「それは違うだろ!」とか思っても、表面上は、「あっ、そうですよね!」みたいな。

だから俺は田中正造には一生なれないんだけど、でもいつか本当に許せないときは正造みたいになりたい。常に心の鑑みたいな存在として田中正造がいる。

人間はそういう「正義の背骨」みたいなものは、絶対持っていたほうがいいと思うんです。いさという時は、すべてを投げ打ってでも「やってやるぜ」という気概のようなものを持つべきではないかと。たとえ実際には何もできなくても、ね。

イッツー:いい話! 編集長が戦うなら、部員みんなが味方しますので。

ヨネ:よっ! 編集長!

ハジメ:いざ、誰もついてこなかったら、どうしよう……。

現代新書の「正義の背骨」

ヨネ:では最後に、現代新書の「正義の背骨」は何ですか?

ハジメ:背骨がないと、人間は欲や俗に流されちゃう。現代新書でいえば、これからも高品質な本を作っていくことです。

本を読む人が減ってきてインターネットがこれだけ普及すると、おそらく、よりお手軽な本が求められている。

でも、教養書も絶対廃れさせたくないし、もしかしたら僕の次の編集長はそういうジレンマを乗り越えないといけないのかもしれない。それでも矜持を持って、どこかの一線だけは死守するということが大事なので、若い人たちもぜひ、自分の背骨をどこにどう持っておくか考えてみてください。

マル:今の発言をしていたときの編集長が、いつもと違って、とてもカッコよく見えました。

ハジメ:「いつもと違って」とは何だ!

マル:では、ここで再び多数決をとりましょう……「いつもと違って」だと思う人!

ハジメ:いや~っ、やめて!

(文中一部敬称略)