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私はなぜルシア・ベルリンの翻訳を熱望したか

死後10年を経て〝再発見〟された奇跡の作家
無名アメリカ女性作家の本が、発売前から小説好きの間で話題を呼び、続々重版、異例の反響を呼んでいる。4人の息子のシングルマザー、さまざまな職業を転々とした経験から描かれた短篇の数々。人気翻訳家・岸本佐知子が語る、その魅力とは。

聞いたことのない新しい声

最初の一パラグラフを読んだ瞬間に、あ、きっと自分はこの本を訳すことになる、訳さなければ死ぬ、と思うような本に出会うことがある。ルシア・ベルリンがまさにそうだった。

 

初めて読んだルシア・ベルリンは「マカダム」という一ページにも満たない短編だった。

鉱山町で暮らす少女が、家の前の道路が舗装されるのを眺めている。地面にマカダムという舗装材が流され、それを鎖でつながれた囚人たちがザクザクと踏み固める。

少女はときどき「マカダム」という言葉をそっと言ってみる、友だちの名前みたいな気がするから──そんな話だ。

砂漠の乾いた埃っぽい空気と囚人たちの鎖のリズミカルな音がありありと五感に迫るなかに、癒しようのない少女の孤独がくっきりと刻みつけられていた。

ルシア・ベルリンの名を知ったのは今から十数年前、リディア・デイヴィスが彼女について書いた文章をたまたま読んだのがきっかけだった。

めったに人を褒めないデイヴィスが熱狂的な賛辞を寄せているのに興味を引かれて、ためしに短編集を一冊取り寄せてみたのだ。届いたのは無名の出版社から出た百ページほどの本で、表紙は黄ばんでいた。ぱっと開いたところを読んだのが「マカダム」だった。

一読して撃ち抜かれた。収められたどの短編もすばらしかった。聞いたことのない新しい声だった。

おそらくは半自伝的と思われる(往々にして悲惨な)できごとを語りながら、醒めた視点と、華やかな生命力と、しぶといユーモアがごく自然に同居していた。

私はあわてて手に入るだけの彼女の本を取り寄せた。数冊の短編集はどれも絶版で、古書扱いだった。著者もすでに故人になっていたことを、その時はじめて知った。

3度の結婚と離婚、アルコール依存症

ルシア・ベルリンは一九三六年アラスカに生まれた。父が鉱山技師だったために、幼少期は北米の鉱山町を転々とした。

五歳のとき、父の出征にともないテキサスの母の実家に住む。祖父は腕がいいが酒びたりの歯科医、祖母は宗教にどっぷり、母も叔父もアルコール依存症という環境だった。

ルシア自身集団生活になじめず、二つの小学校で退学処分、一つの学校は自ら脱走した。

父の帰国にともない一家でチリに移住し、一転して上流階級の暮らしとなる。十八歳でアメリカに戻り、三度の結婚と離婚を経て四人の息子を抱えるシングルマザーとなり、掃除婦、電話交換手、ERの看護師、高校教師などの職につく。