日本のコンテンツ産業を没落させた、悪しき「サブカル信奉」

日本はすごい「教養大国」・後編
川崎 大助 プロフィール

悪しき「サブカル信奉」

こうなった原因のひとつは、悪しき「サブカル信奉」なのではないか、と僕は考える。「ないか」と書いたのは、僕はこれまでの人生で「サブカル」に関与したことはないし、したいと思ったこともないからだ。だから距離をもって観察して、考えた。
カタカナの「サブカル」は、英語の「subculture」とは概念的にあまり関連がないようだ。

音楽でもマンガでもすべて「教養を育まないままに」オモチャにすること。「本格的ではない」ことをこそ目指している――そんなフリをしているかのような態度の表明こそが、日本語の「サブカル」だったのではないか。

子供の遊びをしている「フリをする」とでも言おうか難しいことは全部大人にまかせておいて、そっちを上目づかいに見上げつつ「ごっこ」遊びを繰り広げていればいい、という……ロックごっことか、ラップごっことか、マンガごっことか、映画ごっことか、文学ごっことか。

もし僕のその見方が当たっていたとするならば、そんなものが通用するはずはない。同じ「ごっこ遊び」をやっている、同好会的サークルの仲間以外の、広い世間には。かくして「輪」は閉じる。文化的鎖国状態は、何重にもかさなったあげく、国土全体をも覆っていくことになる。インターネットという「出島」を使いこなす人々以外は、精神的に閉じ込められる。

正しくは、日本人も「かつての教養主義」を思い出して、書架に貯められるだけ貯めた文物に再接続して、立ち直らなければならない。まだ残り時間があるうちに。そして、たとえばK-POPと日本のポップ音楽がまっとうに「教養」で競い合って、その過程で全世界に商圏を広げていくのが理想的だ。

アメコミ大手でたとえると、マーベルとDCのように。健全なるライバル関係になればいい(嫌い合うなど、もってのほかだ)。もちろん、日本がDCだ。かつては先行していたのに、いまは思いっきり後塵を拝しているという意味で。

指針となる教養の欠如

まとめると、音楽だけではなく、コンテンツ産業だけではなく、90年代以降、日本の産業界全体の凋落、その「敗因」の最たるものは、「かつてあったはず」の教養に目を向けず、だから哲学することができず、ゆえに「かくあるべき」未来を構想する力を失ってしまった、からだと僕は考えている。

構想しないのだから、望ましい未来はこない。決して、勝手に訪れてくれるわけはない。逆ならある。だからそのとおりになった。たぶん想像したくもなかった「望ましくない」未来だけが、いま日本人の目の前に現出しているのではないか。

たとえば、90年代において日本は「ソフトウェア敗戦」を経験した。PC-98やiモードなんかやってる暇があるんだったら、なぜウィンドウズやiOSを超えて国際的に広がり得るようなシステム・ソフトウェアを開発しなかったのか? あるいは、なぜソニーは、弱り切っていたときのアップルを買収しなかったのか?

すべては「その判断ができなかった」からだ。つまり指針となる教養が欠如していたから、思想がなかったから、たとえば、ボブ・ディラン・マニアのスティーヴ・ジョブズに太刀打ちできなかったわけだ。だから要するに「コンピュータ・ソフトウェア開発競争」に負けたから敗戦した、というだけではない。

まずもって、戦う前に敗れていた。未来を「構想する」という地点で、すでに。「ビジネスマンとして内面化しているソフトウェア」というレベルでの性能の低さによって敗れたのだ、というほかない。

そして、この事実をずっと直視できないから、いまだに経済は止まったままだ。なのに諸外国は着実に経済規模を拡大し続けているから、事実上これは「日本だけが」あらゆる国からカモにされて、毎日毎日すこしずつランチ・マネーをカツアゲされ続けていることに等しい。まるで気が弱いいじめられっ子みたいに。