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日本のコンテンツ産業を没落させた、悪しき「サブカル信奉」

日本はすごい「教養大国」・後編
日本人はいつからか「洋楽から学ぶ」ことを忘れてしまい、音楽のみならずコンテンツ産業全体が、世界の最新潮流から置いてけぼりをくらっている。今こそ、かつて日本にあったはずの「教養」に目を向けなくてはならない――作家の川崎大助氏が警鐘を鳴らす。

前編「ワン・ダイレクションもBTSも、みんなジャニーズから学んだはず」

日本人だけのアドバンテージ

ではなぜかつての日本は、音楽について、韓国やそのほかのアジア諸国に先行することができたのか? それは単純に「リアルタイムで先進国(アメリカなど)」の最新成果を吸収してこられたからだ。

日本が列強国を指向した大正時代にジャズが輸入され、街のド不良と有名私立大生が突っ走った。その後輩陣が戦後、一時的支配者となったアメリカ軍のベースを回って演奏し(とても分がいい)日銭を稼いだ。

ここでカントリー&ウェスタンが基地の外に持ち出される。そして占領が明けた途端に、ロックンロールだ。

エルヴィスのデビューも、ビートルズ旋風もなにもかも、右肩上がりに成長していく国内の経済環境のもと、「同じ時代の空気のなか」で享受することができた。これは奇跡にも等しいほど幸運なことだった。

アジアのなかで「日本だけ」に、このアドバンテージがあった。第二次大戦後は国内が戦渦にまみれることも、軍事独裁政権となることも、苛烈な思想弾圧がおこなわれることもなく……というか逆に「昭和元禄」と呼ばれるほどの、満ち足りすぎた状況のもとで「洋楽」に親しみ遊び、学び、自らの教養とすることができたのが「かつての日本人」だった。

しかしいつの間にやら、日本人は「洋楽から学ぶ」ことを忘れてしまった。「洋楽を学んでいた」自らの過去から学ぶことも、忘れてしまった。身近なところに蓄積していたはずの「教養」を顧みることを、忘れてしまった。

だから今日、世界中から「ただひとり」置いてけぼりをくらうことにもなってしまった。いまや日本のポップ音楽界はもとより、コンテンツ産業全体、いや「国ぐるみ全部」が、世界の最新潮流から置いていかれようとしている。まるでふたたび鎖国でもしているかのように。

没落の一途

その一方で米欧では、日本のポップ音楽への根強い人気がある、ことはある。渡辺貞夫らの「和ジャズ」から細野晴臣、あるいは山下達郎らを筆頭とする「シティ・ポップ」まで、コアな音楽ファンなら「知ってて当然」という程度の定番と化して、長い。

端緒は90年代。クラブDJのミックス・テープから広がっていった。今日のK-POP人気の規模とは比べようもないが、しかし、名門大学カレッジ・ラジオ局の関係者なら「原則みんなコーネリアスのファン」といった状況は、また別の軸として、誇っていいことのはずだ。

だがしかし、忘れてはいけない苦い教訓のひとつが、こうしたシーンから支持を得ている日本人アーティストのほぼ全員が「すごく前にデビューした人」ばかりだ、ということだ。大雑把に見ると、00年代以降に登場したアーティストで前述の支持層のなかに食い込めた者は、僕が知るかぎりほとんどいない(女性アイドル好き、あるいは日本人女性に性的ファンタジーを抱くことを好む一部マニア層にのみアピールした存在は、いくつかあるが)。

基本的にこれは「洋楽」への教養の有無が、米欧において通用する・しないの差となってあらわれているのだと僕は解釈している。

マンガやアニメにも、近しい現象はあらわれているようだ。「90年代いっぱい」までに端を発するコンテンツのほうが、「そのあと」よりも圧倒的に強いように、僕には見える。つまり「日は沈みつつある」ということだ。過去には「宝の山」があったのに、年々だれからも「相手にされなくなっていく」というのは、没落の一途と呼ぶほかない。