ワン・ダイレクションもBTSも、みんなジャニーズから学んだはず

日本はすごい「教養大国」・前編
川崎 大助 プロフィール

イパネマのヒットもスキヤキのおかげ?

ここで面白い話がある。「イパネマのヒットもスキヤキのおかげ」という有名な噂話だ。

 

ゲッツとジルベルトが前述のアルバムを仕上げたのは63年の3月。だからこの音源は、そのまま約一年間近くも寝かされっぱなしだった、ことになる。その理由は「ブラジルの音楽」がアメリカで売れるのかねえ、との懐疑がレコード会社側にあったせいだという。そんななか「日本語で歌って大ヒットした」サカモトの大殊勲が追い風となって最終的なゴーサインが出た……という説だ。

説得力はある、と僕は思う。なぜならば、シングル・ヴァージョンの「イパネマの娘」では、ジョアン・ジルベルトが歌ったポルトガル語のパートがまるごとカットされていたからだ。だから自然とメイン・ヴォーカルの位置づけとなったのは、ジョアンの細君だったアストラッド。彼女のたどたどしい、訛りの強い英語のエキゾチシズムに、アメリカの聴衆は魅了された。かくして「ボサノヴァ」は、一大ブームをかの地で巻き起こすことになる。

このヒットの連続、「スキヤキ」と「イパネマ」の成功を分析すると、とにもかくにも、このときのアメリカの音楽リスナーが「エキゾチックなもの」に飢えていただろうことは、わかる。しかしだからといって「エキゾチックならなんでもよかった」わけではない。

事実、坂本九の次なるシングル「支那の夜」(戦前の1938年に渡辺はま子の歌で初出。李香蘭も歌った曲のカヴァー)は同58位にしかならなかった。さらなる「九ちゃんの炭坑節」は、あっけないほどにも当たらなかった。

単純に言うと「エキゾチシズムに寄りすぎた」ものは、いかなるサカモトの新曲でも通用しなかった、ということだ。坂本九は、アメリカ(および、日本の外の広い世界)においては、「スキヤキ」の歌手としてだけ記憶されている。

アメリカ音楽の教養

ではなぜ「スキヤキ」と「イパネマ」は狂ったようにアメリカで受けたのか?

そこには、明確な理由があった。簡単だ。この2曲には、その楽曲構造のなかに「アメリカ音楽の教養」が色濃くあったからだ。そこが最初に「受ける下地」となった。ここにおける「教養」とは、ジャズだ。

「エキゾチシズム」の奥に、最上級の「教養」があったからこそ、「その教養の本場のアメリカにおいて」、この2曲はとてつもなく魅惑的な商品たりえたわけだ。

たとえば坂本九のヴォーカル・スタイルは、フランク・シナトラらが世に広く魅力を伝えた「クルーナー」スタイルの系譜の上にある。だから彼の「スキヤキ」は、未知の言語ながらも「ノリのいいジャズ・ソング」として楽しめたわけだ。しかし「支那の夜」にも「炭坑節」にも、言うまでもないが、クルーナーは馴染まない。

ちなみに、ビートルズが64年のアメリカで爆発的に受けたのも、ほとんどまったく同じ構造からだ。アメリカの大衆、なかでも少女たちは、「見たこともない」不思議な髪形をした、妙な訛りの英語を話すイギリスの若者たちの「エキゾチシズム」に熱狂したのだが、このときに真なる起爆剤となったのも、ビートルズのなかにあった「教養」だ。「数年おくれのアメリカのロックンロールの焼き直し」という名の。

もちろんBTSの音楽にも「教養」がある。だから最新の米英ポップ・ヒッツと聴き比べても一切遜色ない、日本人からすると「まるで洋楽みたいな」音楽を彼らは作り上げることができた。少なくとも2018年以降は、全曲が「この水準」にある(これだけでも、まさに空前の偉業だ)。そこが「ビートルズと同じように」アメリカで受ける下地となった。イギリスですら彼らは「ビートルズのように」受けた。

坂本九、ジョアン・ジルベルト、ビートルズ、BTSの全員は、じつは「アメリカ音楽の教養」があったからこそ、かの地で大成功できた。そしてそのまま、欧州そのほか、地球中でヒットすることもできた。

「かくあるべき」音楽文化の核心に近いところを「教養」として身中に蓄えた、エキゾチックな出自を持つ者の成功例が、この四者だったわけだ。

そして、この四者の音楽性およびその背景について、仔細に分析し、微に入り細に入り語りつくせる人は、日本、ブラジル、イギリス、韓国の四ヵ国のなかで「日本に一番多くいて当然だ」というのが、僕の意見だ。

なぜならば、(人口が多いせいもあって)音楽的教養の蓄積の量ということなら、「ちょっとしたもの」だったのが、かつての日本だったからだ。米英の人には負けるとしても、それ以外のどこの国の人にもひけをとらないぐらい「洋楽」を聴き、研究し続けていた人々が、日本には無数にいたからだ。そしてBTSも、これら「日本に蓄積されていた教養」から、じつに多くのものを得ていると僕は見る。