ワン・ダイレクションもBTSも、みんなジャニーズから学んだはず

日本はすごい「教養大国」・前編
川崎 大助 プロフィール

巨大化したBTS

では、ポップ音楽を題材に、日本がいかに教養大国「だった」のか、しかしその資産がいつの間にやら、見るも無残に「忘れ去られて」しまっていたのか、エピソードをもとに説明していこう。

 

つい最近あった象徴的な事象を観察すれば、「教養とはなにか」「どう役立つのか」一目瞭然だ。それらの出来事は、2019年7月の上旬に連続して起こった。

まず7月3日、いまをときめくK-POPのスーパースター、ボーイ・バンド(Boy Band)のBTS(防弾少年団)の最新シングル「Lights / Boy with Luv」が日本で発売された。日本向けに日本語で歌われた」このシングルは、破竹の勢いで日本のビルボードHOT100チャート(シングルの総合チャート)1位を奪取した。

この情報を僕は、アメリカのエンターテインメント情報誌のツイートで最初に知る。なぜならばBTSは、前回僕が記事にしたときと比べて、さらに数段階巨大化した国際的アーティストとして、米欧のポップ音楽界の最高峰にて悠々と君臨する「だれも知らない人がいない」ほどの存在となっていた、からだ。

(それほどのアーティスト、「自国語(韓国語)の歌」で世界を制した彼らが、わざわざ「日本語版」を作らねばならないほど「閉じた」市場が日本なのだ……が、その話はまたいずれ、稿をあらためて)

BTSの同シングル発売の3日後、7月6日にブラジルの楽聖、ギタリストにして歌手のジョアン・ジルベルトが逝去した。88歳の大往生だった。ボサノヴァ界の最重要人物にして、同音楽ジャンルそのものを作り上げた、天地を開闢したひとりが彼だった。

63年から64年の「天変地異」

この2つの出来事から、僕は60年代初頭のアメリカで起こったことを連想した。63年から64年にかけて、米ポピュラー音楽界にはある「天変地異」が起きた。あのときの事象の陰画のようなものが、現代において再現されているような気がしたのだ。

ジョアン・ジルベルトの代表曲にしてボサノヴァをも代表する超有名曲「イパネマの娘」が、64年春にアメリカで大ヒットした。米ジャズ・サックス奏者のスタン・ゲッツとジルベルトがともに録音したヴァージョンがそれで、4月にはビルボードHOT100で最高位5位。イージー・リスニング・チャートでは1位を記録。

同曲を収録した共作アルバムは65年度のグラミー賞アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞した。ジャズ・アルバムとして、そして外国人アーティストのリーダー・アルバムとして、史上初めての快挙だった。「イパネマの娘」のシングルは、同賞のレコード・オブ・ザ・イヤーも獲った。

その前年、「イパネマの娘」大ヒットの約10ヵ月前には、また別の歴史的椿事があった。東アジア出身の無名歌手が突如ビルボードHOT100の1位を占拠するヒットを飛ばしたのだ。日本の坂本九がその人だ。「スキヤキ」などと適当に名付けられた、坂本九の「上を向いて歩こう」が、売れに売れた。

日本語詞というか、「日本で発売されたままの状態」の歌が、63年の6月15日付から3週連続の1位という、とてつもない大記録を打ち立てた。「英語以外の歌はほとんどまったく売れない」とされる、あのアメリカで。

ちなみに、坂本のこの記録「アジア発の英語詞以外のシングルがここまで1位を続けた」という成績は、BTSにも、彼らのブレイク以前の2012年に「江南スタイル」を米欧でシングル・ヒットさせたPSYにも、破られてはいない(PSYの同曲は2位止まり。BTSのシングルは韓国語版の「Boy with Luv」が同チャート8位となったものが最高位)。

つまり、いまだにアジア人のだれも破りようがないほどまでにも衝撃的な、異常な、あり得ないほどの一大記録が「63年のサカモトの大成功」だった、ということだ。