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ツタンカーメンの謎に新説!正体不明のミイラが彼の母親だった!?

「王家のDNA」解析からわかったこと

古代エジプトの〝最盛期〟に残された謎

紀元前3150年頃の第1王朝樹立にはじまり、紀元前30年に共和政ローマに滅ぼされるまで、3100年以上もの長い歴史を誇った古代エジプトには、さまざまな王朝が築かれてきた。各王朝を統治したのが「ファラオ」とよばれる王であったことは、みなさんよくご存じのとおりだろう。この記事の主人公は、世界で最も有名なファラオ、すなわちツタンカーメンである。

 

ツタンカーメンは、古代エジプト3100年の歴史のなかで、ちょうど中頃の時期にあたる紀元前1570年頃から紀元前1293年までつづいた第18王朝の王の一人である。第18王朝にいたる直前、古代エジプト世界は国内で分裂が生じ、混乱期にあった。

その混乱を収束させ、国内を再統一することで、第18王朝の始祖となったのがイアフメス1世である。しかし、この古代エジプト第18王朝には、多くの謎が残されている。

その一つが、何人かの王たちの名が歴史から消されていることで、なかでも有名なのがツタンカーメン王である。1922年に考古学者のハワード・カーターによって発見されるまで、3000年以上ものあいだ盗掘をまぬかれてきた王墓からは数多くの宝物が見つかり、一躍、世界に知られるところとなった。

ミイラに被せられていた「黄金のマスク」はいまや、古代ファラオの象徴ともなっている。

黄金のマスクは古代ファラオの象徴になっている(photo by iStock)

ツタンカーメン王のミイラが発見されたことは、以前に私が書いた記事と同様、それまでに知られていた歴史を大きく書き換えるものとなった。古代エジプト史の暗部に隠されていた、第18王朝の幾人かの王たちの存在が明るみに出てきたのである。

そして、21世紀になって、そのツタンカーメンをはじめとする複数のミイラの骨から、DNAが抽出された。それらDNAを解析したデータからは、石版(レリーフ)に彫られ、後世に伝えられてきた公式の歴史には見られない“隠れた歴史”が浮かび上がってきた。従来は不明とされてきた親子関係がはっきりしたものもある。

そして、これまでの謎が明らかになった後には、新たな謎が、歴史の上に浮上してきたのである。

「王家の谷」で見つかった謎のミイラ

王家の谷」という名称は、多くの人が耳にしたことがあるだろう。

現在のルクソールにあたるテーベから見て、ナイル川の西岸にそびえる岩山の谷に築かれた王墓群を指す言葉で、本稿の主人公である第18王朝の王たちを含む、古代エジプトの多数の王の墓が集中していることで知られる。この谷からは計24基の王墓をはじめ、多数の墓が発見されており、ツタンカーメンの墓もそのうちの1つだ。

王家の谷は、第18王朝の第3代ファラオであるトトメス1世によって築かれたもので、彼以前の王たちの墓が繰り返し盗掘に遭っていたことから、自らの墓の所在を秘匿するために、谷あいの目立たない土地に墓を建設したとされている。

それぞれの墓には「Valley of the Kings」の頭文字をとって「KV○」という名称がつけられている。「○」の部分には発見された順に数字が振られており、たとえば「KV34」はトトメス3世の、「KV62」はツタンカーメンのというように、誰の墓であるかがわかるようになっている。

このうち、「KV35」から見つかった二人の女性のミイラから、話をはじめることにしよう。