羽生善治九段も通った――将棋界に酒場「あり」があった時代

棋士たちの青春の日々
小島 渉 プロフィール

「もう帰ったほうがいいんじゃないかな」

あるとき、夕方に中原さん、先ちゃん(先崎九段)、羽生さんが8席しかないカウンターに並んでね。先ちゃんはああいう子だし、米長さんの弟子だからいろんな話ができるしょ。先ちゃんと中原さん、私が話していると、羽生さんが身を乗り出して聞いて、何度もげらげら笑うの。ちゃんとポイントで笑うから、「この子、すごい。大人の話がわかる頭のよさだ」と感心しました。

若き日の羽生善治九段(右から2番目)、先崎学九段(左から2番目)。提供:あり

そのうち、中原さんが羽生さんに「もう帰ったほうがいいんじゃないかな」と何度もおっしゃったんです。後日、中原さんが見えたときに、どうしてそんなことを言われたのか聞いたら、次の日の朝早くから予定があることを中原さんは知っていたから、心配したんですって。

1994年、史上初の六冠を達成した羽生善治氏(写真/講談社写真資料室)

羽生さんは先ちゃんと見えたときにボトルを入れてくれて、私も気に入ったの。いま思えば、自分から気に入ったなんて恐れ多いけど(笑)。羽生さんはとても優しくて、休日に先ちゃんと羽生さんと明治通りの鴨肉のお店にいったとき、私の足が痛いのを知って、車のところまで送ってくださってね。七冠達成のパーティのときも、ご挨拶する人が何十人もいるのに「お久しぶりです」とわざわざ立ち止まってくれました。羽生さんは本当にいいひとですね。

 

思い返してみると、将棋のひとは本当に純粋でした。ものすごく頭はいいんだけど、一般的な教養人と違っていました。普通、自分の感覚で人の善し悪しを決めると思うんだけど、将棋のひとは私にどういうお客さんかを聞いてくるわけ。「~大学を卒業して、~という会社で働いて」と教えると、納得するの。いまの社会における立場、決められた立場を大事にするというか、それしかわからないんじゃないかしら。うぬぼれた言い方だけど、私の目を通して、人を見たかったのかもしれない。でも「将棋ファンです」と言われた瞬間に、誰でもよくなっちゃうのよ(笑)。

私の人生にとって、「あり」は面白かった。悲喜こもごもですけど、私の人生でいちばん大事なことでした。こんなに人にお会いすることはなかなかないし、いろんな世界を見ることができましたから。

後編は8月下旬に配信予定です。