羽生善治九段も通った――将棋界に酒場「あり」があった時代

棋士たちの青春の日々
小島 渉 プロフィール

「盤外戦術」っていうんでしょう?

中原(誠十六世名人)さんがよく来るようになったのは、1980年代の後半です。お店が終わってからも、よく飲みにいきましたよ。自分からはしゃべらないけど、ニコニコしながら話を聞いているの。

中原さんは帝王教育を受けて、料亭ですごい扱いを受けるから、逆にみんなで一緒にワーワーやるのが気楽でうれしかったんじゃないかな。車を拾えない夜明けにうちの亭主が中原さんを家まで送っていったら、御礼にオペラのS席をくださったし、まとまったお金をポンと置いてくのよ。あれがなかったら、お店をやっていけませんでした。

1978年当時の中原誠氏(写真/講談社写真資料室)

中原さんは本当に品のいい方。米長さんは中原さんとの名人戦が近づいたりすると、中原さんがチクッとするようなことを色紙に書いて「貼りなさい」って言うのよ。中原さんが見えたときに「ごめんなさい、盤外戦術っていうんでしょう?」と言うと、「大丈夫ですよ、僕もやりますから」って、ニーッと笑うの。

 

でも絶対、あの方はしたことがないと思う。私に困ったことがあると「嫌な思いをさせました」と謝って、米長さんの悪口を言わなかったし。そういう「米中戦争」を、面白がっている人もいたと思うけど、将棋のひとは「自分の対局に影響が出るから、かかわりたくない」って人が多かったかな。狭い世界だからすごく敏感なんでしょう。

いまだから言えますけど、米長さんの勝ち気の強さは、中原さんに対しては、えげつなかったかな。米長さんは芹沢(博文九段)さんときて、よくけんかしていたけど、あのときは相手が先輩だったし、将棋は米長さんのほうが強かったからね。

1981年、中原誠棋王に米長邦雄九段が挑戦した第6期棋王戦第1局(写真/講談社写真資料室)