羽生善治九段も通った――将棋界に酒場「あり」があった時代

棋士たちの青春の日々
小島 渉 プロフィール

米長に禁句の「名人!」

米長さんが初めて来店されたとき、私が「週刊誌で写真見ました。名人! 名人!」とはしゃいだら、常連さんが足で小突くのよ。「まだ名人になっていない」って(笑)。それぐらい、将棋のことは何にも知らなかった(名人は将棋のタイトルのひとつ。米長は32歳で初挑戦したが、名人を初奪取したのは1993年、49歳のときだった)。

お店が終わったあと、寿司屋で色川さんと一緒になったんです。「米長さんが来たのよ」っていったら、「ああ、ヨネさんか。よく知っているよ。ワンちゃん(王貞治)と同じか、それよりも有名だ」と教えてくれました。私は巨人ファンでしたので、それでようやく、将棋のひとはすごいと知ったんです。

1977年、34歳当時の米長邦雄氏(写真/講談社写真資料室)

そのうち、将棋の皆さんが来るようになりましたけど、集まる酒場がなかったんですって。私も急に興味を持っちゃって、大阪の棋士がドアを開けたら、顔を見ただけで名前を呼んじゃうぐらい、詳しくなったの。谷川(浩司九段)さん、「おゆき」を歌った内藤(國雄九段)先生、ずっと前に亡くなった森安(秀光九段)さん。藤井聡太(七段)さんの師匠、杉本(昌隆八段)さんのお師匠さん……板谷(進九段)さんもよく見えました。板谷さんは名古屋の訛りがあって、可愛かった。

 

でも、私が将棋のひとばっかり面白がったら、常連さんの反感もあって、人によっては離れてしまったの。残ってくれた常連さんは将棋好きで、山本直純さんとか色川さんかな。

将棋のひとが見えるのは、対局が終わったあとの午前2時、3時くらい。置いてある盤駒で、「さっきの将棋は?」とみんなでやっているのよ。多分、ほかの人の将棋なんでしょうけど。A級順位戦の一斉対局が終わったあとだったか、ほぼ全員のA級棋士がいらしたこともありました。どっちが勝ったのか、どんなに話をしていても最後までわからなかった。でもやっぱり、陽気でニコニコしているほうが負けだったみたい。