羽生善治九段も通った――将棋界に酒場「あり」があった時代

棋士たちの青春の日々

かつて将棋指しに酒はつきものだった。対局を終えた深夜に、勝者と敗者が連れ立ってバーに通った。昭和から平成にかけて、盤上の余韻を酒で流し込む時代があったのだ。

前後編のインタビューに応じてくれたのは、名棋士の愛したバー「あり」の初代ママ、川鍋燿子(かわなべ・ようこ)さん(前編)と、「あり」の常連だった先崎学九段(後編)だ。「あり」は新宿2丁目のバーで、「羽生が生涯で初めて、ボトルを入れたお店」(先崎九段)だという。

20代の羽生善治九段はもちろんのこと、中原誠十六世名人、米長邦雄永世棋聖ら大棋士が通った。創業は1972年。もともとは文壇バーで、1997年に行われた25周年記念のパーティの発起人には、棋士に加えて田村隆一、筑紫哲也、西部邁らが名をつらねている。2007年に初代ママの川鍋さんは70歳で引退し、2014年に閉店した。

 

ゴールデン街から新宿2丁目へ

「あり」初代ママ、川鍋燿子さんの話

私がお店をひとりで始めたのは1972年、35歳のときでした。7年と半年ほど、新宿のゴールデン街で営業して、1980年の4月から新宿2丁目に移ってきました。もともと、私はハワイや銀座で歌手をやっていて、酒場のなかで働いたことがない、まったくの素人でした。お店の名前も意味がなくて恥ずかしいんですけど、平仮名かカタカナで2文字がいいなと思っていて、人に相談したら「歌手名が『亜莉子』だから『あり』でいいじゃない」と言われたからなんです。

【写真で振り返る棋士たちの青春】

将棋盤を真剣に見つめるのは、元N響コンサートマスターの故・岩淵龍太郎氏。その隣は中原誠十六世名人。提供:あり

お店を始めたとき、朝日新聞の校閲の知り合いに連絡を取ったら、朝日新聞の記者のたまり場になりましてね。あと、私の家が文学関係で、実家には商売の看板にしちゃいけないといわれたんですけど、なんとなく噂で広まって、文壇の方が集まるようになりました。よく来たのは色川武大さん(阿佐田哲也)、コミさん(田中小実昌)、殿山泰司さん。この3人がとても大好きだったの。純文学系の方もいて、役者も佐藤慶さんとかいろんな人が来ましたし、噺家さんや編集者、評論家の方もよく来てくださいました。

新宿2丁目で営業してから2、3年目に作家の井上光晴さんが米長(邦雄)さんをお連れになった。それから、だんだんと将棋のひとが集まるようになりました。