パールハーバーと9.11

「戦争の記憶」について学んでいる私がなぜ、無意識のうちに「原爆は正しかった」というたった1つの物語を受け入れてきたのか? 「私でさえ」、と今となっては自分でも思うのだが、祖父によって語られる国民の物語に囚われてきたのだった。

原爆を正当化する物語というは、歴史から切り離されたものではなく、むしろ「あれは『善い戦争』だった」というアメリカのより大きな物語の中に埋め込まれている。

ハリウッド映画を通してB-29の無敵の搭乗員たちや硫黄島への猛攻撃に描かれるアメリカ人の英雄物語を観てきた私は、第二次世界大戦とは善VS悪、抑圧VS自由、文明VS野蛮の戦いであるという物語にどっぷり浸っていた。原爆投下はアメリカ人にとってはこの戦いの終わりに位置づけられ、一方で始まりにあるのが真珠湾攻撃だった。

-AD-

コロンビア大での第1回目の対話でグラック教授は、アメリカ人、日本人、韓国人、シンガポール人などから成る私たち学生グループに「パールハーバーと聞いて何を思い浮かべるか」と質問した。アメリカ人のうち何人かは2001年の映画『パール・ハーバー』と答え、一方で私のように愛国的な気持ちを連想した者もいた。

私はこのときも祖父の話を思い出していた。彼にとってパールハーバーは、70年が経っても、本土への攻撃を目の当たりにしてアメリカ全体が団結した「あの瞬間」として思い出され、気持ちを高ぶらせるものだった。

そしてグラック教授が過去とは現在の視点を介して理解されるものだと指摘したように、私自身も他の同世代と同様、パールハーバーを2001年のニューヨークの世界貿易センタービルへの攻撃を通して知ることとなった

2001年9月11日の朝、ワールドトレードセンターに飛行機が激突した Photo by Getty Images

9/11当時、私はまだ7歳だったが、自分が生まれ育ったニューヨークが傷つきながらも立ち上がろうとする空気に包まれていたことを今もはっきりと覚えている。パールハーバーと9/11は多くの部分で同列には並べられないが、この2つはアメリカ人の意識の中では1本の線で結ばれている。

これらは2つとも、アメリカが本土攻撃を目の当たりにした瞬間だったのだ。9/11が私の気持ちを高ぶらせるのと同じように、パールハーバーは祖父の記憶に当時の感情を呼び起こすのだろう。