アメリカで語られた「正義の物語」

2017年末から2018年春にかけて、米コロンビア大学のキャロル・グラック教授(歴史学)はニューズウィーク日本版の企画として、コロンビア大の学生たちと共に過去についての物語や理解を問い直すという、全4回の対話を行った。そこでグラック教授が行ったのは、私たち学生たちがもっている「記憶」を解体していくという作業だ。

グラック教授(写真中央)と対話をするコロンビア大学の学生たち Photo by Q.Sakamaki

私たちはその話をどこで聞いたのか、誰から教えられたのか、そして私たちはなぜある1つの物語を大切にし、一方でそれとは異なる物語を拒絶するのか――。家族にまつわる私の第二次大戦の記憶は、私がありのままに語りグラック教授が分析した、いくつもの記憶のうちの1つだった。

これらの対話を通して、私は祖父が(おそらく無意識のうちにだが)アメリカで語られるある1つの記憶、つまり原爆は「正義」であるという国民の物語の語り部になっていることに気付き始めた。

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彼はダイニングルームのテーブルにつきながら、またはボードゲームをしながら、あるときは暖炉の前で自分の記憶について話をし、私は祖父の話に疑問を持つことなく聞き入った。原爆が落とされたことで、と彼は言った。日本本土への上陸はなくなり、おかげで自分と多くの仲間たちの命が救われたのだ、と。

アメリカの文化批評家ポール・ファッセルは1981年に「原爆投下を神に感謝」と題したエッセイを書いたが、こうしたストーリーは退役軍人だけでなくアメリカ社会全体にも受け入れられたものだった。アメリカ国民は私たちミレニアル世代に至るまで、総じて原爆は神聖かつ不可欠だったという見方を持ち続けてきた。