日本中で3万人に授業した私が「教育は秋田に学べ」と主張する理由

教育は「現場」が最も重要だ!
芳沢 光雄 プロフィール

俳優の柳葉敏郎さんも、かつて「子育ては東京でなく秋田で」という考えで、出身地の秋田県大仙市に移住されたことがある。

筆者もその近くにある大仙市立西仙北東中学校を2009年に訪れたことがある。西仙北西中学校から車で30分ほどの場所にある素晴らしい学校で、過疎化の問題から2012年には西中学校を統合して西仙北中学校として新たな出発をしている。同年には前出の大沢郷小学校なども統廃合となった。

海外では、過疎地の学校には都会とは別の基準で手厚い対策をとっている事例もある。出前授業で出会った生徒たちの生き生きとした様子を覚えている筆者としては、複雑な思いが残っている。

2003年、北海道立浜頓別高校で高校数学教員の研修会に招かれ講演をした。だがスケジュールの都合で、同高校の生徒たちと話すことはできず、悔しい思いを残すことになってしまった。2006年、ようやく同高校を訪ねることができ、泊まりがけで2日間にわたって出前授業をした。在籍している生徒のほとんど全員に教えることができ、3年前の悔しさを晴らすことができた。

その学校で忘れられない場面がある。理系進学コースで、不動点定理の一例として「名刺手品」を証明した後に、ある生徒が証明に感激して興奮を止められなくなってしまい、先生方が生徒を冷静にさせるために一苦労したことである。それほど生徒は「集中」していたのである。

 

同じく2006年の7月26日、小説『坊ちゃん』100周年記念事業の一つとして、夏目漱石が教鞭をとったことのある愛媛県立松山東高校(旧制・松山中学)で、冷房も効かない由緒ある「明教館」で出前授業をすることができた。

当日の気温は37度。筆者も羽織袴の坊ちゃんスタイルで大変だったが、大汗かいても暑さをものともしない生徒諸君の「集中」した表情は、さすが四国一の名門校であった。

生徒の集中力に押されて、見学していた松山市長(当時)の中村時広さん(現愛媛県知事)が、当日の予定を後にずらしたことも懐かしい思い出となった。

ボランティア授業で気づいた重要な事実

実は10年ぐらい前から、上記のような生徒の集中した表情を見ることができない、業者が運営する“出前授業”があちこちの高校で流行っている。

同一日の同一時間帯に、10大学程度の大学教員をまとめて1つの高校に招く。そして高校側では、「A大学さんは1教室、B大学さんは2教室……」という感じで、各大学別にそれぞれ授業をさせるのだ。

仕事と割り切って、筆者自身も何回かそのような“授業”をこなしたが、ここに本来の出前授業の精神はどこにもない。「大学説明会」という名称を用いていただきたいほどである。実際、いくつかの大学からは、教員ではなく職員が“授業”にやってきている。

筆者は現在の桜美林大学に移ってから、一気に出前授業の回数を減らすことになった。これは、自分が勤めている大学にたくさんの「数学嫌い」が在籍しているからである。

10年ほど前は、補職として就職委員長も兼ねていた。当時の就職状況は厳しく、学生たちの就活適性検査の非言語問題の成績も悪かった。

そこで、後期の毎週木曜日の深夜に「就活の算数」というボランティア授業を開始した。もちろん手当てなどなく、また学生にも単位認定がないものであった。それでも、数年間で約1000人の学生が寺子屋スタイルで熱心に履修してくれた。

そこでは、徹底して一歩ずつ算数の基礎から理解してもらうような授業を展開した。

その結果、「このように一から理解させてもらう授業を受けたのは、人生で初めてです」というアンケートを数多く受け取り、驚かされることとなった。

彼らは、小学生のころから、少し理解が遅いだけですぐに「やり方」や「公式」の丸暗記をさせられ、答えを当てるだけの学びに仕向けられてきたのだ。

この重要な事実を知り、逆に「数学嫌い」をなくすことができるのでは、と筆者は考えるようになった。これが、多くの「数学嫌い」のための入門書の執筆につながっていったのである。

今後も教育「現場」を大切にして、多くの生徒や学生に数学に対する興味・関心・理解を高める授業を展開していきたい。なお、筆者の出前授業の内容や「ゆとり教育」が残した数々の問題点に関しては、拙著『反「ゆとり教育」奮戦記』(講談社)で詳しく述べているので、ご一読をいただけたらうれしい限りである。

芳沢光雄