グラスに水が半分残っているときに、君はそれをどう表現するだろうか? あるいは、車のガソリンはどうだろう? ちょうどメーターが半分を指しているときはどうだろう?
「まだ半分残っている」or「もう残りが半分しかない」
これが日常であれば、普通に水を足せばいいし、ガソリンスタンドに行って給油をすればいいだけだ。しかし、もし真夏の山中や砂漠で遭難して水がとても貴重な場合はどうだろうか?
あるいは、燃費の悪い大きな車でアメリカの大平原を夜中に走っていて、ガソリンスタンドはやっていない、目的地までまだ何十マイルもあるという状態だったらどうだろうか?
また、これが業績の場合だったらどうする? 目標の半分は達成している。しかし、期末はどんどん迫ってくる、そのような状況で君はどのようにとらえるだろうか?
「目標をまだ半分しか達成していない」or「目標をもう半分達成している」
どちらで捉えても、現状は同じだ。しかし、どう表現するかでそのあとに続く言葉、そしてそれ以上に起こる感情がまったく別のものになる。
目標をまだ半分しか達成していない、というように捉えると、この先あと半分もやらなければならない、というネガティブな感情になる。君がチームのメンバーにこのように言うと、皆の気持ちが下がるんだ。
目標をもう半分達成している、というように捉えると、この先あと半分だけやればいい、というポジティブな感情になる。君のメンバーたちにこのように言うと「よしっ、やろう!」というように気持ちが上がるんだ。
マラソン大会で、特に距離の長いフルマラソンでは、半分の距離を走ったときに、「まだ半分もある」と思うと気持ちが続かない。しかし、「もう半分来た! あと半分だけだ!」と自分に言い聞かせると頑張れる。たかが表現とバカにしてはならない。肯定的、前向きな表現は自分だけでなく周囲に大きな力を与えるんだ。
日頃、否定的、後ろ向きな発言をする人は、それを最初に聞く自分の大脳の中にどんどんその言葉が蓄積されていく。よく、「自分の身体は食べるものでできあがるように、自分の心は自分の発する言葉でできあがる」とも言われる。
こういう話をすると、悲観的で何が悪いんだ、と言う人がいる。もちろん個人であれば自由だ。しかし、組織においては、たとえ自分の気持ちが伴わなくても、あえて肯定的、前向きな言葉を使わなければ機能しない。意識して使うことにより、それが習慣となり、やがて下意識(無意識)に定着してゆくのだ。