新宿二丁目は、なぜ「ゲイバーの街」になったのか

日本一の「多様性の街」の肖像
伏見 憲明, 砂川 秀樹 プロフィール

砂川 それはゲイに限らず、社会全体がそうなっていますよね。SNSで自分の投稿にどういう反応があるかとか、自分をどう見せるかを、みんな常に考えている。そうなると、ゲイはあくまでその人の属性の一つ、ということになってくるのかもしれません。

最近は、SNSでもゲイであることを明らかにした上で発信している人がたくさんいます。昔はゲイ雑誌にすら、実名で出る人がいると「画期的」と言われたけど、今ではネット上にあふれている。

そうなると、別にゲイであることを共有するために、わざわざバーに出かけなくてもいい。ゲイであることを前提に友人関係を築くこともだんだん当たり前になってきていますし、最近は欧米の都市でもゲイバーがなくなりつつあるという話をよく聞くけど、東京もそうなる可能性はありますよね。

 

「観光地化」する新宿二丁目

伏見 昔はゲイの関係性って性に局在化されていたけれど、今は良くも悪くも普通の市民社会になってきているんですよね。だからゲイバー的な空間というものが、成立しづらくなってきている。

でも、だからといって、二丁目のお店が「普通のバー」になってしまうのはどんなものかと。例えば「女性は入店お断り」と言えなくなって、お店がノンケや女性のお客さんばかりになってしまうと、「つまらない」というゲイのお客さんもいる。あるいは、ノンケのお客が来ても店にゲイ客がいないと「普通すぎておもしろくない」と不満(笑)。みんな欲張りさんなんで、非常に難しいんですね。「おもしろい」ということと「平等」ということは、なかなか両立しないところがあったりするので。

お店のありようと、お店に関わる人たちのアイデンティティはシンクロしているというか……1970〜80年代に二丁目がゲイバー街になっていったときは、性欲と紐づいた「ホモ」とか「ゲイ」とか「同性愛者」といったアイデンティティが、徐々に社会化していった時代でしたよね。

それが今、「LGBT」とか「多様性」といった緩やかな概念へだんだんほぐれていっていることと、街やお店の変化はすごく連動していて、かかわる人たちの主体のあり方がそのままバーにも反映している感じがします。

砂川 やっぱり物理的なものに人の生き方は出てくるし、関係性もまたお互いに影響し合うということですよね。すると、今後は二丁目にもオープンなバーが増えるんでしょうか。

伏見 そうじゃないと経営が回らなくなるという面もあります。ゲイの人たちの出会いの場としての機能がゲイバーからアプリに移ったので、お客さんが減った分、ノンケの人にも来てもらわなければいけない。だからミックスバー的じゃないと、商売が非常に難しい。

この前、「アイランド」というお店のマスターのラクさんと対談したとき、「アイランド」は基本的にはゲイしか入れないバーなんですが、むしろそういう「古式ゆかしい伝統的なホモバー」がもう珍しくなってきた、絶滅危惧種になったとおっしゃっていました。

砂川 むしろ、ゲイバーは「特別なお店」という形で残っていくのかもしれない、ということですね。

あとは、海外のお客さんの受け入れも進んでいますよね。最近はアジアの中でゲイの移動がすごく盛んになっていて、もちろん欧米からも来るけれど、韓国や中国、台湾からもたくさん来ていますし。

同じ新宿のゴールデン街は、ある意味「観光地化」することで、独特の色合いを残すことに成功しています。文化人類学にも、「観光化することが結果として文化の保護につながる」という議論があって、例えば土着の芸能文化などは、観光客の視線があるほうが残りやすい、という面もあります。ゲイバーも、いわゆる「観光バー」と呼ばれる一般客向けのお店は「ゲイゲイしい」あり方をあえて見せているけど、そういうお店はむしろ残るのかもしれません。