新宿二丁目は、なぜ「ゲイバーの街」になったのか

日本一の「多様性の街」の肖像
伏見 憲明, 砂川 秀樹 プロフィール

差別・抑圧の変化と、街の変化

砂川 読んでいて思ったのは、昔の二丁目のお店は、文壇バーやジャズバーでありゲイバーでもあったんですよね。ノンケの人たちが混在していたことも重要で、そういう人たちが交流しながら文化を発信していったわけじゃないですか。新宿に集まっていたカウンターカルチャーの担い手が、おそらくゲイの人たちとも出会って交流していたんでしょうね。

伏見 例えば「ナジャ」というお店は、60年代半ばに開業した有名な文壇バーで、「ザ・60年代」という面々が集まって侃々諤々に議論を闘わせていたけれど、もう一方では従業員にゲイの方がいるゲイバーとしての顔も当時から持っていたようです。

砂川 戦後の新宿でゲイバーの文化がどのように花開いたかについては『新宿二丁目』を読んでいただくとして、伏見さんはご自身でゲイバーを経営されていますよね。最近の二丁目の雰囲気はどうですか?

伏見 お店の数自体は、ちょっと増えている気がするんですよ。だけど、おそらく一軒一軒の売り上げのパイは小さくなっている気がする。僕のお店が儲かってないというのもあるかもしれないけど(笑)、他のお店の人に聞いても、やっぱり昔みたいには儲からないっていう人が多いですね。

いわゆるホモバー的じゃないミックスバーや観光バーが増えた、ノンケの男性や女性客も来るようになった、という意味では多様化しているかもしれないけど、お金が落ちているかというと……。若いゲイの子たちも、常連として定期的に来る人は少なくなりました。イベントや飲み会のあと二丁目に流れてくるようなことはあるけれど、そんなに多くはないですね。

砂川 今はそもそも若者の人口も減って、お酒を飲まなくもなっているから、どうしたって減っていきますよね。ゲイの出会いのきっかけがスマホのアプリに移行していることも大きいのかな。

伏見 街に人は増えたと思うんです。でもそれと、お店が賑わうということとは別なんですよね。90年代以前の二丁目は、お店の中には客はいるけど通りには人が少なかった。80年代以前はみんな小走りで、姿を見られないようにして店から店を渡り歩くみたいな感じだった。

でも、お金は全然かつてのほうが落ちていた。見掛けだけじゃわからないところがあるんですよね。だから今みたいに、週末にたくさん人がいて盛り上がっていることが、LGBTコミュニティの活性化かというと、どうなんだろう、みたいな……。

砂川 なるほど。ゲイが徐々に社会に受け入れられるようになって、街にも出られるようになったし、出会いはアプリで済む。そうなると、わざわざバーに行かなくてもいい。その辺の居酒屋で飲めばいいわけですから。

伏見 それはゲイとかLGBTに対する差別や抑圧が弱まってきたことの反映でもあるんだけど、そうすると今度は、二丁目にも一般社会の価値観が入ってくるんですよね。

あえて乱暴な言い方をすると、昔はどんな大企業の社長でも普通の学生でも、「ホモはホモだよね」みたいな……言うなれば、ゲイであることの「負の平等性」みたいなものがあったし、昼間のその人の立場や役割を捨てられることがゲイバーの魅力でもあったんだけど、最近はバーにいても格差とか階層といった社会性が反映されるというか。

お客さんもそういうことを気にしているので、会話に気を使います。「やっぱり金融系の方はお金あって、いいですね〜」とか「○○大学の学生さんですか、すごいですね〜」とか、そういう普通の話になっちゃう。世知辛いというか、みんな自分がどう見られるかとか、世の中でどういうポジションにいるのか、みたいなことをすごく気にしている。