新宿二丁目は、なぜ「ゲイバーの街」になったのか

日本一の「多様性の街」の肖像

数多くのゲイバーが軒を連ね、日本一の「ゲイの街」として有名な新宿二丁目。だが、意外にもその歴史は謎に包まれている。自ら二丁目でゲイバーを経営する作家の伏見憲明さんは、最新刊『新宿二丁目』で街の知られざる成り立ちに迫った。

本書の刊行を記念して、伏見さんと、文化人類学者でオープンリーゲイの砂川秀樹さんの対談が実現。伏見さんのお店「A Day In The Life」で、新宿二丁目の過去・現在・未来を語りつくす。(写真/西崎進也、構成:現代ビジネス編集部)

バー「A Day In The Life」にて、伏見憲明さん(左)と砂川秀樹さん
 

ゲイバーが急増した時代

砂川 新宿二丁目に関するまとまった研究が少ない中で、伏見さんはゲイバー経営者などの当事者に直接インタビューして、それをもとに、二丁目の街の歴史を生き生きと描いています。この『新宿二丁目』は、本当に貴重な一冊ですね。

伏見 ありがとうございます。実は最初から二丁目の歴史を書こうと思っていたわけじゃなくて、編集者の依頼は「LGBTの入門書」だったんです。でもそういうのは90年代にすでに書いているし、今日では砂川さんの名著『カミングアウト』(朝日新書)をはじめ、多くの入門本が出回っているので食指が動かず……それなら、僕は新宿二丁目でバーをやっているから、二丁目の案内本なら書けるかな、と。

それで古い資料をひっくり返してみたり、その後の研究や資料を渉猟してみたら、好奇心が止まらなくなって、けっこう本格的な歴史物になってしまった。

砂川 読んでなるほどと思ったのは、二丁目がゲイの街になり始めたのは1960年代と言われるんですが、当時若者のあいだで一世を風靡した雑誌『平凡パンチ』には、ゲイカルチャー特集が何回も掲載されていたんですよね。世界的にも若者による革命運動が起きた時期で、その流れに二丁目の歴史を位置づけたのは画期的です。

伏見 さすが、砂川さん! 実は今回の本でいちばん重要な章は「平凡パンチの時代」なんですよね。僕自身、日本のゲイの解放史は1970年代のゲイリブ(ゲイ解放運動)に始まるという思い込みがあったし、これは自分の中のホモフォビア(同性愛嫌悪)かもしれないんですが、やっぱりゲイ当事者も含めて、それ以前の世代は美学的な解釈以上には、同性愛にあまり肯定的ではなかったという偏見があった。

ところが今回、いろんな資料を調べるうちに、「あれ?違うかも」と気づいたんです。それなりに肯定的なゲイの情報が1960年代にもちゃんと発信されていた。そこにスポットライトを当てないと、二丁目の歴史も解き明かせないな、と。

砂川 1960年代に、同性愛のことが次第にオープンに語られるようになったことと、二丁目でゲイバーが急増していったことには関係があるのではないか、と。

伏見 時代の空気、欲望というのが後押ししないと、あんなふうに街の変化は起こらない。当時の資料はもうほとんど残っていないんですが、僕が見つけた週刊誌の記事によると、1966年の時点ですでに80軒ほどのゲイバーがあったようです。『グリーンレター』という全国ゲイバー案内の冊子が1969年から発行されていることからしても、その頃には、もう新宿二丁目一帯が「ゲイの街」だという認識があったはずです。

砂川 この本のテーマのひとつは、「なぜ『ゲイの街』は池袋でも渋谷でもなく、新宿に生まれたのか」という謎です。伏見さんは、新宿が戦後カウンターカルチャーの中心だったことはもちろんですが、もうひとつ、「ハッテン場」が周囲に多かったという理由を挙げていますね。

伏見 僕はまだ、駅のトイレとか映画館とかのハッテン場が新宿に多かったことをリアルに記憶している世代ですが、そういう潜在的な顧客が多かったことは重要な理由だと思います。

砂川 ちょっと疑問だったのは、「ハッテン場があったからゲイバーが増えた」という流れはわかるんだけど、それは二丁目の起源を繰り延べるだけのような気がして……つまり、なぜ新宿にはハッテン場が多かったのか、という疑問が出てきませんか?

伏見 その理由はよくわからないんです。東京のハッテン場は、戦後すぐは日比谷公園が盛んで、さらに戦前に遡ると数寄屋橋公園が一番大きかったそうです。そういう流行り廃りがある中で、戦後に「権田原(現在の神宮外苑)」が巨大なハッテン場になったことは今でも伝説的に語られるほどなので、もちろん影響はあっただろうと。

ただ、例えば映画館のハッテン場は銀座や渋谷にもありました。あるいはハッテン場は繁華な場所とは無縁な空間にできることもある(権田原もそうですよね)。繁華街では映画館や駅のトイレが定番になっていたけれど、なぜ新宿付近に多かったのか、というのは、砂川さんが博士論文で分析したように新宿の土地性、性のイメージに関わるのかもしれない。

砂川 新宿は巨大ターミナルでありながら、「性的な空間」というイメージが色濃く残る街です。そうした空気を保ちながら、若者や学生が流入し続け、カウンターカルチャーが重なり合って……。

伏見 新宿の街の住人のあり方を考えても、地元密着型じゃないというか、田畑を代々引き継ぐような共同体とは違う、住人が流動的であるがゆえの気風がありますよね。そういう場所のほうが、性的なものも受け入れやすいのかもしれません。