樹木希林と加藤治子が通った…鹿児島の「がん放射線治療」病院とは

50年来の親友と旅行気分で仲良く通院
週刊現代 プロフィール

「長生きさせて、悪かった」

数々の作品で「良き母親」を演じた加藤さんだが、私生活では最初の夫と死別、再婚相手とも離婚した。子どもはおらず、親や兄弟姉妹も早くに亡くなっていたため、50代前半から世田谷区の一軒家で一人暮らしをしていた。

内田裕也と別居し、一人独特な生き方を貫いた希林さんと通じるところがあったのだろう。

'10年、そんな加藤さんが87歳の時、乳がんが発覚。医師からは「余命5ヵ月」と宣告された。加藤さんは余命宣告を受けても、重く受け止めている様子はなかったという。

それでも一人で病気と向き合う辛さが、同じく病を抱える親友には痛いほどわかったのだろう。希林さんは彼女にこう声をかけた。

「ハルコさん、鹿児島にご一緒しません?」

 

そうして二人はUMSに通うことになった。滞在期間は1ヵ月を予定していた。一方は「全身がん」、もう一方は「余命5ヵ月」という二人ながら、道中はまるで旅行のような雰囲気だったという。

希林さんはホテルに滞在したが、加藤さんは高齢ということもあり、提携している市内の病院に入院する形をとっていた。

UMSでの放射線照射時間はわずか数十秒。前後の準備の時間を含めても、一回の治療は20~30分ほどで終わってしまう。

UMSの患者の多くは、治療時間以外は自由に過ごし、映画やショッピングを楽しむ人が多い。二人も周囲の飲食店を回り、食事を楽しんでいたようだ。

クリニック近くの老舗蕎麦屋の店員の話。

「希林さんは以前から年1~2回ほどの頻度で店に来てくださっていました。その希林さんが加藤治子さんを連れていらっしゃった時のことはよく覚えていますよ。

テレビで見ていたイメージよりも随分体が小さな方でしたが、顔立ちが非常に整っていて、すぐに加藤さんだと気がつきました。一緒に和やかにお食事をされていました」

それでも時間は有り余ってしまう。希林さんは映画を観たり、近くの鹿児島中央駅のシンボルである観覧車に乗って、時間を潰していた。

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「治子さんも治療以外の時間をどうするか、毎日困っていたようです。『向こう(鹿児島)での楽しみは他人の悪口だけよ』といたずらっぽく笑っていました」(筒井氏)

治療の合間には二人でおしゃべりに興じた。加藤さんは3週間ほど滞在し、予定より早く帰京した。後にCT検査などを行ったところ、がんがかなりの小ささにまで縮小していた。

それでも、互いに手を取って喜び合うわけではないのがこの二人だ。'13年4月頃、希林さんは苦笑しながら、先の知人にこう語っている。

「ハルコさんから電話があるとね、ずっとお説教されるの。『あなたのおかげで長生きさせてもらっているけど、つまんないのよ。仕事なんかなんにも来ないし。あなたが長生きさせたから、生きててもつまんない』。

私はそのたびに電話にむかって深々とお辞儀するの。『すみません、いや、本当に私が悪かった』って(笑)」

大女優二人の微笑ましいエピソードだ。二人には大きな効果があったUMSだが、治療効果に疑問を呈する医療従事者もいる。順天堂医院肝・胆・膵外科非常勤講師で、東京オンコロジーセンター代表の大場大医師が話す。

「放射線治療の機器で言えば、UMSのものより新型でより優れた機器が他の多くの医療機関にあります。技術力の面でも、現在のUMSのレベルが他の医療機関と比べてどこが優っているのかわからないというのが私の認識です。

植松氏は治療のデータなどを示した論文などを一切書いていません。彼はUMSのHPなどで、自分たちの治療法がいかに優れているかということを強調していますが、客観的な根拠はどこにもないのです」

本誌は鹿児島のUMSクリニックを訪れたが「取材にはお答えできない」の一点張りだった。