ネタバレ厳禁社会の息苦しさを、ドラマ『あなたの番です』から考える

そんなに敏感にならなくても…
堀井 憲一郎 プロフィール

「ネタバレ禁止」がちょっと息苦しい

ネタバレ、という言葉がいまの意味で使われるようになったのは、私の記憶によれば、インターネットをみんなが使うようになってからである。

つまりここ十数年、21世紀にはいってからのことだ。

もちろんそれ以前も、ミステリーの結末をばらすことや、映画のラストを教えることはマナーとして避けられていた。ただ、インターネットがない時代は、知り合い同士の会話で気をつければいいだけである。一般人が結末をばらしてしまって問題になるということふつう起こらなかった。

ただ、マスコミに出てくるおじさんたちで結末をばらす人はいた。

テレビで映画を放映するときは必ず解説者が出て来て、放映前に見どころを紹介してくれるもので(いま考えると何のサービスだったのかよくわからない)、解説者には伝説的に喋りのうまい人もいたが、どんどんネタをばらしちゃう解説もよくあった。映画評論家系の人には、映画のかなり深いところまでストーリーを喋ってしまう人がけっこういたのだ。

 

当人は「これを話さなければ大丈夫」と部分を想定して、それさえ話さなければ「ストーリーをばらしてことにはならない」とおもっていたのだろう。『坊っちゃん』でばあやの清がもう死んでしまって小日向の寺に墓があるということだけ言わなければ、山嵐と坊っちゃんは教頭たちを殴って教師をやめたという部分は話しても大丈夫だと判断してるようなもので、かなり無茶な判断である。基準は個人の中にしかないので、みんなで困っていた。

ただ、当人に悪気はなさそうだったから、ある種の天然自然の存在として、しかたないな、とあきらめてもいた。それが処世でもあった。

昭和のそういう時代を生きてきたほうからすると、近年の「ネタバレ禁止」はちょっと息苦しい。

見知らぬ人がふと目にしてしまうインターネット上での表記は気をつけなければいけないだろうけれど、それが徹底されていくと、それをマナーとして身につけた人が増えていき、日常生活でもその縛りが厳しくなっていく。つまり、日常生活での監視項目がひとつ増えてしまうのだ。ひとつ小さく面倒くさくなる。