講談社創業者が「戦争によって人類は堕落から救われる」と言った理由

大衆は神である(61)
魚住 昭 プロフィール

正道に復らなければなりません

清治の論調が急変した理由は何だろうか。当時の国際情勢を見てみよう。

満洲事変が起きた当初、事変に対する各国の反応はまちまちだった。ファイナンシャル・タイムスの特派員スキップウィズが言ったように、英国には日本に同情的な意見もあった。

しかし、中国が「日本軍の侵略行為」を国際連盟に提訴してから、日本に対する風向きが変わりはじめる。国際連盟理事会は激論の末、期限付きの日本軍撤兵案を全理事国(日本を除く)で合意し、リットン調査団の派遣を決定した。

そうした状況にもかかわらず、日本は翌年1月、第1次上海事変(日本人僧侶が、陸軍特務機関に教唆された中国人に襲撃され、1人が死亡した事件がきっかけになった)を起こし、中国本土に戦火を拡大、国際都市・上海を攻撃して米国をはじめとする国際世論の反発を買った。

事態はこの後、リットン調査団の来日(2月29日)、満洲国の建国宣言(3月1日)、清朝最後の皇帝・溥儀(ふぎ)の執政就任(3月9日)と進んでいく。リットン調査団は同年10月、「満洲事変は日本の侵略行為であり、自衛のためとは認定できない」という報告書を公表し、翌年2月、ジュネーブの国際連盟総会は満洲国の不承認を決議、3月に日本は連盟を脱退することになる。

それこそが清治が最も恐れていたことである。あるいは、このころには柳条湖事件が関東軍の謀略だったという情報が清治の耳にも入っていたのかもしれない。講演のつづきで清治はこう述べている。

 

〈よもの海みなはらからと思ふ世に
     など波風のたちさわぐらむ
 明治大帝の御製。何という有難い、至高至仁(しこうしじん)の大御心(おおみこころ)、洪大無辺の御聖徳、拝誦する毎に感涙にむせぶのであります。(略)然(しか)るに今日人々の為す所は、我が国といわず、外国といわず、争わんが為めに争う、最初から争いを目的とするかの如くにさえ見えます。たがいに権利権利と主張し、互に権利々々と主張し、互に我が利益々々とばかり考える。「上下交利(しょうかこもごもり)を征(と)りて国(くに)危(あやう)し」と、昔から戒むる所であるが、正にその観なきを得ないのであります。(略)
 如何(いか)に口に於て国際親善を唱え、人類共愛を叫んでも、我等自らの為す所、常に「和」の精神に則らず、その言う所と、その行う所と相反馳(あいはんち)するようであっては、謂わゆる木に縁(よ)って魚を求むるものと申さねばならぬ。ここは、どうしても我々お互の反省によって、努力によって、この誤った考(かんがえ)、この面白からざる行為を、断然打破し、矯正して、大調和の正道に復(かえ)らなければなりません〉

もうお分かりと思うが、清治の心中では膨張的な皇国ナショナリズムと国際協調主義がせめぎ合っている。どちらが前面に出てくるかは、そのときの状況次第である。