講談社創業者が「戦争によって人類は堕落から救われる」と言った理由

大衆は神である(61)
魚住 昭 プロフィール

満洲事変を境に論調一変

柳条湖事件翌日の9月19日、関東軍は奉天城を占領し、その2日後、満洲中部の吉林(きつりん)に出動した。10月8日には満洲南部の錦州を爆撃、翌年1月までに満洲のほぼ全域(熱河(ねっか)省を除く)を占領下に置いた。清治は、こうした関東軍の“快進撃”に拍手喝采した。

もっとも、このとき喝采した新聞・出版人は清治だけではない。それまで、軍縮に反対する軍部を批判していた新聞各紙も満洲事変を境に論調を一変させた。毎日新聞に至っては「毎日新聞後援、関東軍主催、満洲事変」といわれるほど軍部に協力した。その背景には、関東軍の“壮挙”に対する大衆の熱狂があったことは言うまでもない。

筒井清忠著『戦前日本のポピュリズム』(中公新書)からデータを借用して、当時の毎日新聞の報道ぶりを再現してみよう。

9月20日………関東軍の行為に「満腔の謝意」
9月23日………政府の不拡大方針に「日本は……被害者」と抗議
9月25日………政府の国際連盟からの申し出拒否を「最も適当なる処置」と擁護
9月27日………政府の慎重姿勢はなお弱腰として「大声疾呼して国民的大努力の発動を力説」
10月1日………「強硬あるのみ」
10月9日………政府の不拡大方針に対して「進退を決せよ」
10月15日………中国の言い分は「盗人たけだけしい」
10月26日……「正義の国、日本」
10月26日……「守れ満蒙=帝国の生命線」

なお、こうした新聞の協力ぶりには、事変が一段落ついた翌年春、荒木貞夫(あらきさだお)陸相が次のような感謝の辞を述べている。「今次満洲事変……各新聞が満蒙の重大性を経(たて)とし、皇道の精神を緯(ぬき)とし、能く、国民的世論を内に統制し外に顕揚したることは、日露戦争以来、稀に見る壮観であってわが国の新聞、新聞人の芳勲偉功(ほうくんいこう)は特筆に値する」(『新聞及新聞記者』1932年3月号)

 

「四海兄弟」「万国平和」

さて、次は『栄えゆく道』のエンディングを飾った清治の講演「大調和」に移ろう。

前回「皇恩国恩」の結びの言葉(宇宙一切の大調和という事であらねばならぬ)を受けた形の題がつけられており、内容からいって、講演時期は昭和7年前半と考えて差し支えないだろう。

清治は最初、家庭や職場の和の重要さを説き、「幾千万年の昔から、人類は互に仲よくすべく、段々今日に至って居るのであります」と述べ、本題に入っていく。

〈人類究極の目的と言えば、四海兄弟ということである。万国平和ということにある。国と国と、人と人と、互に仲よく、深切を尽くし合い、平和な、幸福な、黄金時代を、理想郷を建設することを最後の目的として、子孫の為めに是非そこまでということで努力致して居るのであります。(略)これが為めに努力し、だん〳〵に仲よく、だん〳〵に平和、而して最後の大理想へと、歩一歩進まねばならぬものであるのに拘わらず、今日の有様は如何(どう)でありましょう。まるで是れとあべこべに逆施倒行(道理とは逆のやり方)して居るものの如く見えるのは、退歩ではないか、逆戻りではないかとさえ思われる。我々は此処(ここ)で猛省一番する必要がある〉

トーンの落差にお気づきになられたろうか。「飛躍」とか「大興隆」とか「進軍」「一路邁進」といった勇ましい言葉が躍った前回とは打ってかわり、「四海兄弟」「万国平和」が強調されている。