奇跡的に生還した「回天」搭乗員が語った「死にぞこない」の葛藤

「発進すれば必ず死ぬ」究極の特攻兵器
神立 尚紀 プロフィール

「死ぬべくして不幸にも死ねなかった」

戦後、生まれ故郷の北海道に帰った竹林さんは、30年にわたり炭鉱に勤務、無我夢中で働いた。職員組合の幹部に就任、労働運動の先鋒に立ったこともあれば、会社の労務部長として組合側と対峙したこともある。炭鉱が閉鉱し、残務整理を終えたのちは職業訓練校の事務長や町内会長などを務めた。

 

「炭鉱での過酷な勤務をはじめ、社会人としての種々の職業体験を通じて、私を支えてくれたのは、回天での経験で培われた精神でした。私はね、奇跡の生還者ではなく、死ぬべくして不幸にも死ねなかった、死にぞこないなんです。戦後もそのことを考えると悶々とした日々を送りましたし、自分が生きていることには、いまもって戸惑いを覚えています。けれども生かされて今日あることを思えば、その事実を語る使命と重責を感じます。

戦争の再現は望まない、美化するつもりもない。ましてや特攻の生き残りだからといって、命を粗末に考えているわけでは決してない。しかし、あの時代、自らの死が日本を救うと信じて戦った若者たちがいたことは、正しく歴史に刻み込んでほしいと願っています」

でも……と、竹林さんは続ける。

「戦後、男の子を二人もうけて、親となった立場で回天を考えたら、腸(はらわた)をかきむしられる思いがしますね……。残された親御さんの思いはいかばかりであったかと、胸が痛みます」

竹林博さん

戦争は、「死ぬことに疑問を抱かなかった」という純真な若者たちを死地に投じ、戦没者の数だけ、悲嘆に暮れる遺族を生んだ。竹林さんの回天が無事に発進していれば、竹林さんのその後の人生はなく、子供たちも生まれてこなかった。もし、伊五十三潜が爆雷攻撃で撃沈され、乗組員だった福本兵曹が戦死していれば、のちの「盗塁王」がこの世に生を受けることもなかった。運命はまさに紙一重。戦争により失われた命と、無限の未来。残された遺族の思い、そして自らを「死にぞこない」と呼ばざるを得ない生還者たちの心の葛藤――。

大津島で、竹林さんが回天搭乗員になって75年。彼らのうち、生き残った者も全員が90歳を超え、体験を正確に伝承することも困難になりつつある。

近年では、〈私はどんな敵だって怖くはありませんが、やはり母さんの涙が一番怖いんです〉という、後年創作された「遺書」が、「18歳の回天特攻隊員の遺書」として流布され、一人歩きをしている。

だが、戦争に対する反省も、特攻作戦に対する批判も、戦いに斃れた若者たちへの追悼も、すべては「事実」の上にのみ成り立ちうる。ファクトなき、お涙頂戴的な「作り話」で得られた感動は、幾多の先人たちの命と引き換えに得た平和の意味をも空しくするものだろう。まずは生還者の声にこそ、虚心に耳を傾けたい。

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