奇跡的に生還した「回天」搭乗員が語った「死にぞこない」の葛藤

「発進すれば必ず死ぬ」究極の特攻兵器
神立 尚紀 プロフィール

発進命令後、艇内に有毒ガスが充満し……

6月に入って、勝山隊6名の搭乗員に、思いがけない6日間の出撃休暇が与えられた。敵機の空襲で津軽海峡が危険なため、北海道へ帰ることは許可されず、竹林さんは東京の親戚方に帰省した。

 

7月14日、多聞隊にいよいよ出撃命令がくだる。勝山隊6名が搭乗する回天6基は、伊号第五十三潜水艦(伊五十三潜)に搭載され、出陣式のあと基地の隊員総員の見送りを受け、出撃した。搭乗員は各自の回天の上に立ち、「七生報國」と墨書された鉢巻を締めて、二度と日本の土を踏むことはないのだという悲壮感と、敵艦撃沈の使命感が激しく交錯する思いで、力の限りに両手を振ってこれに応えた。

多聞隊・伊五十三潜、出撃前の記念写真。前列左より川尻一飛曹、荒川一飛曹、関少尉、大場艦長、佐々木参謀長、勝山中尉、竹林さん、坂本一飛曹

「よし、いよいよ出番だ、こんどは俺がゆくぞ、任せとけ、という気持ちが強かったですね……」

戦争が約1ヵ月後に終わるとは、このときは誰も予想していなかったのだ。

昭和20年7月14日、多聞隊出撃。見送りに応えて
回天を搭載し、出撃する伊五十三潜。左手前の人の肩越しに見える2人の人影のうち、左が竹林博さん(当時一飛曹)

敵艦を攻撃する予定地点は、沖縄とフィリピン・レイテ島を結ぶ線上である。伊五十三潜は、日中は潜航し、日没を待って浮上することを繰り返しながら、予定戦場に向かった。

密閉された潜水艦内にいると、昼と夜との区別はつかない。竹林さんたち回天搭乗員の居室は、魚雷発射管室に臨時に設けられた寝台だった。酸素の節約のため、用のないときは寝ていることになっているが、高温高湿の艦内では、じっとしていても汗が噴き出してくる。風呂もシャワーもない。いつ敵艦と出会うかわからない戦闘航海が続く。

7月24日午後、伊五十三潜はバシー海峡東方海面で、敵輸送船団を発見した。艦長・大場佐一少佐より「回天戦用意」が発令される。勝山中尉は一号艇に、あとの5名の搭乗員も、艦内から交通筒を通ってそれぞれの回天に搭乗した。搭乗員は、半袖の防暑服に飛行靴(半長靴)、鉢巻といういで立ちである。

搭乗員たちが回天に乗り込むと、後のプロ野球盗塁王・阪急ブレーブス福本豊選手の父・福本豊治兵曹が、交通筒のハッチを艦内から閉めた。回天本体のハッチは、搭乗員が自分で開けて、乗艇したら内部から閉める。両方のハッチが閉まると、交通筒のエアーを抜いて海水を入れ、回天はいつでも発進できる状態になる。

「私は四号艇に搭乗しました。回天の操縦室は、直径1メートル、長さ1.5メートルほどの空間に、操縦装置が所狭しと配置されていて、座ると足も伸ばせない狭さです。私の四号艇は、母潜の後甲板、一号艇の真後ろに固縛されていました。特眼鏡をのぞくと、海面からの明かりで、一号艇が目の前に見えました。『一号艇発進』、艦長の指示がレシーバーを通じて聞こえてきます。『一号艇発進用意よし』、勝山中尉の声が聞こえた瞬間、一号艇のスクリューが回り、エンジンの排気で、私の特眼鏡の視界が一瞬、真白になった。あとには、主なき架台と交通筒が残るのみでした」

艦長の判断で、このときの発進は勝山艇だけで中止となり、「用具収め」の命令で、交通筒にエアーが充填され、竹林さんたちはふたたび艦内に戻った。そしてほどなく、ゴーンと、胸の底を刺すような爆発音が響いてきた。勝山中尉は米駆逐艦「アンダーヒル」に命中、それを瞬時に沈没させたのだ。「アンダーヒル」の艦体は真二つに割れ、艦長以下112名の乗組員が戦死した。回天は通算して、少なくとも敵艦船3隻を撃沈、4隻を損傷させたことが判明しているが、結果としてこれが、命中した搭乗員が特定できる唯一の戦果となった。

勝山中尉の回天が命中、撃沈した米駆逐艦アンダーヒル

伊五十三潜はなおも作戦行動を続行し、7月29日には、川尻勉一飛曹の二号艇が、米輸送船に向け発進している。

8月3日午後、潜航中の伊五十三潜は突然、数隻の敵駆逐艦と遭遇、激しい爆雷攻撃を受けた。頭上を航走する敵艦のスクリュー音が生で聞こえる。至近弾の炸裂、鋭い衝撃、艦内の電灯が消える。執拗な攻撃。回天搭乗員・関豊興少尉が、

「このままでは潜水艦もろともやられてしまいます。頭上の敵艦と刺し違えますから、回天を出してください」

と、艦長に詰め寄った。日付が変わって8月4日、爆雷攻撃は激しさを増す。ついに「回天戦用意」の命令がくだった。残る4名の回天搭乗員は、それぞれの回天に乗艇した。

「そのときの感覚というのは、生死の極限状況を体験した者でないとわからない。絶対の岐路に立った気持ちは、言葉で言い表すことはできません。どんな哲学者でも心理学者でも、正解は出せないんじゃないでしょうか」

発進命令。深度40メートル、訓練でも経験のない深さである。関少尉、荒川正弘一飛曹の回天が発進。しかしそこで、残る二基の回天に不測の事態が起こった。坂本雅俊一飛曹艇は故障で発進不能、竹林さんの艇は、爆雷の衝撃で、エンジン起動時に起動弁に注入する四塩化炭素の瓶に亀裂が入り、有毒ガスが艇内に充満、竹林さんは人事不省に陥った。

——関、荒川艇の発進が功を奏して、まもなく敵艦の攻撃はやんだ。伊五十三潜の艦内に引き下ろされた竹林さんが意識を取り戻したとき、大場艦長が、「お前にはてこずったぞ。泣きながら、出してくれと叫ぶんだからな」とやさしく声をかけた。その間の記憶は竹林さんにはない。

竹林さんの、四塩化炭素中毒の事実証明書

それからわずか11日後の8月15日、竹林さんは、呉軍港に帰投した伊五十三潜の甲板上で、終戦を告げる天皇の玉音放送を聞いた。それまで考えもしなかった、敗戦という現実。衝撃に頭のなかが真白になった。つい先日、突入した仲間たちのことが脳裏をよぎる。
「生き残ってしまった」——まさに身の置きどころのない思いがした。

編集部からのお知らせ!

関連記事

ABJ mark

ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標 (登録番号 第6091713号) です。 ABJマークについて、詳しくはこちらを御覧ください。https://aebs.or.jp/