「なぜ知性は存在するのか」巨大な問いに挑む「物理学帝国」の逆襲

『ディープラーニングと物理学』考察
田中 章詞 プロフィール

なぜ宇宙が始まったのか、なぜ膨張しているのか、なぜ4次元なのか、等の大いなる(そして素朴な)謎への興味はつきませんが、それと同じくらい、なぜ知性が存在するのかというのも興味深い問いでしょう。

物理学者から見た深層学習

ところで、近年の人工知能ブームの根幹にある深層学習の研究論文などを拾い読みしていると、物理学の論文を読んでいるかのような既視感を覚えます。これには3つ理由があると思われます。

1つ目は、機械学習の理論が数学に基づいて展開されることが挙げられます。

もちろん、近代科学というのは、たとえば論文の論理的な展開や統計処理など、多かれ少なかれ論文のどこかで数学を使うわけですが、機械学習の方法は「機械が経験から未知の状況へ適応できるようにするため」の方法論ですので、方法をきちんと記述するために数学を使うことになります。物理学も「自然の法則を記述するため」の方法論ですので、状況は同じです。

2つ目は、数学的に記述できるとしながらも、ある程度のルーズさを認める文化が感じられるところです。

たとえば純粋数学の論文であれば、証明に少しでもギャップがあるとダメなわけですが、機械学習の論文は数値実験との兼ね合いからか、論理展開の中のギャップにやや寛容な印象があります。また、理論的になぜうまく行くか、筋道立てて説明できないけれど、実験してみたらすごく上手くいきました、という論文も多いように思います。

物理学でも似たような文化があり、誤解を恐れずに言えばむしろ「いかに良い論理的ギャップを作れるか」が問われているような気さえします。もちろんそれが間違っていたりするとダメなのですが。

3つ目は、現象が先行して業界の雰囲気を盛り上げているところです。

特に、ここ10年ほどの相次ぐ深層学習に基づく数々の新たな成果は、20世紀半ば、今で言うハドロンと呼ばれる粒子が次々と実験で発見されていった素粒子物理学の「黄金時代」を思い起こさせます。これは「観測事実があるものの、理論的にそれを説明できない」という状況が酷似しています。

素粒子物理学の場合、それから理論が整ってゆき、現在では「量子色力学」と呼ばれる場の量子論で完璧に説明できることが分かっていますが、これは実験(1950年代~1960年代の「黄金時代」)から最終的に正しいとされる理論の提案(1960年代)、その確立(1970年代、1980年代)まで、20~30年ほどかかっているわけです。

大型ハドロン衝突型加速器 2008年に稼働を開始した大型ハドロン衝突型加速器(LHC)の心臓部分 Photo by Getty Images

同じ歴史を繰り返す保証があるわけではないのですが、素粒子物理学の歴史に見立てると、深層学習の方法は、素粒子物理学における場の量子論のような、現象を記述するために決め手となる「数学的枠組み」が見つかっていない段階のようにも思えますし、ついつい、それがもうすぐ見つかるのではと期待したくなってしまいます。

ただし、ここで誤解していただきたくないのは、ここでは機械学習の研究をするのに「物理学の方法こそが最良」と主張したいわけ「ではない」ということです。