【世界遺産決定】稀代の建築家・ライトが日本をこよなく愛した理由

知られざる深い絆があった
五十嵐 太郎 プロフィール

「浮世絵は最高の手本だった」

なお、ル・コルビュジエの世界遺産登録のときは、上野の「国立西洋美術館」(1959年)を含む、17の作品が三大陸7ヵ国にまたがっていたが、今回のライトはすべてアメリカである。

基本的にアメリカでずっと活動していたからなのだが、彼が国外で実作を手がけたのは、日本の6件(計画案も入れると12件以上)とカナダの3件のみだった。したがって、アメリカ政府の推薦書には、将来の追加登録の候補として、兵庫県の「旧山邑家住宅(ヨドコウ迎賓館)」も含まれている。

兵庫県にある旧山邑家住宅(ヨドコウ迎賓館)

ル・コルビュジエはモダニズムの建築・都市論に関する多くの著作を刊行し、それを読んで感激した世界中の若者が、パリにある彼の事務所の門を叩いた。日本からは前川國男、坂倉準三、吉阪隆正らがそうだ。彼らはル・コルビュジエの弟子となり、帰国してその教えを広め、師匠の設計による国立西洋美術館の完成に尽力した。

一方、ライトは別のかたちで日本と深い関係をもっていた。まず彼は若い時から日本に関心を抱き、1893年のシカゴ万博では平等院鳳凰堂を模した鳳凰殿に感銘を受け、1905年に熱望していた初来日を実現する。

ライトは日本各地を旅行し、浮世絵を収集した。後に彼は、「浮世絵は単純化の最高の手本であり、不必要なものをのぞくことを学んだ」と述べたという(大久保美春『フランク・ロイド・ライトー建築は自然への捧げ物』ミネルヴァ書房、2008年)。

ライトのスタジオ

ウィーンの分離派もそうだが、ライトの極端な縦横のプロポーションのドローイングは、ジャポニスムの影響だろう。また彼の自邸・スタジオやロビー邸の室内を注意深く観察すると、思いがけず、日本建築を連想させるような細部を発見することができる。