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# ALS # 人生の最終段階 # 介護

「人生の最終段階」を明るくはみ出してみたら

篠沢秀夫教授の場合①

難民「ALS一族」

2009年の暮れのこと。学習院大学名誉教授でタレントの篠沢教授がALS (筋萎縮性側索硬化症)を発症した。確か妹から聞いて知ったのだったが、日本の著名人でALSを罹患してカミングアウトした人は珍しかったので、『週刊朝日』1月号を買いにコンビニに走った。

読めば「吸引は愛」とあるが、奥様が大変そうだった。すぐ編集部に電話して、重度障害者の長時間の介護サービスがあること、誰でも使えることを伝えると、その日のうちに教授の奥様からお電話を頂戴した。

私の母は1995年にALSを発症。それで父と私と妹の3人で手分けして、在宅介護をしていた期間があるのだが、介護負担は尋常ではなく、そのまま3人だけで続けていたら、誰かが母を殺してしまいそうだった。それで実家の一角を借りて法人登記して、介護派遣事業所を立ち上げて7年が経っていた。

その頃はまだ、ALS患者にとって必要不可欠な吸引や経管栄養(総称して「医療的ケア」)の介助をしてくれる事業所がなかったので、当事者は自分で起業するよりほかに方法がなかったのだ。

それらの行為は、当時は看護師の業務と言われていて、ヘルパーは堂々と業務として行えなかった。それでも待ったなしの時には、やらざるを得ないのだが、現場を保健師に見られて警察に通報されたヘルパーもいた。

家族は24時間365日、片時も患者から離れられないのに、行政機関の保健所が誰も手伝ってはならぬというのだから無慈悲である。そんなことでは私が介護殺人してしまうなどと言って開き直るしかなくなった。

喀痰吸引の法制化まで「ALS一族」は難民だった。あるべき法が欠けていることを「法の欠缺」というが、患者ばかりか家族の生存も国から否定されているようなものだった。それで「違法性阻却」(違法ではない)という法律用語を使いまわして、喀痰吸引などをヘルパーにさせていた。

つまるところ、それは介護サービスの欠缺でもあるから、その隙間を埋めた弊社には他社に断られた人々からヘルパー派遣依頼が殺到していたのだが、ひょんなことから篠沢教授へのヘルパー派遣も、うちで行うということになったのだった。

 

医療的ケアと介護の困難

医療的ケアの法整備がなされたのが平成23年6月。社会福祉士及び、介護福祉士法(昭和 62 年法律第 30 号)の一部改正を含む「介護サービスの基盤強化のための介護保険法等の一部を改正する法律案」として国会で承認された。

当時厚労省の障害福祉課は、土生栄二課長をはじめ道躰正成補佐や高木憲司補佐らのラインナップで、ALS/MNDサポートセンターさくら会に、ヘルパー研修のモデル事業を委託してくれた。ヘルパーによる喀痰吸引を全国展開してきた「進化する介護」の研修内容を、高く評価してくれてのことだった。

今の制度があるのは、彼らが当事者のニーズをよく把握して、法整備に取り組んでくれたおかげである。官民協同によるプロジェクトの成果で法律も整い、今では少しずつだが、全国的に喀痰吸引等を実施する事業所も増えている。